12月9日、プレ葉ウォーク浜北のなかにあるプレ葉ホールで、浜北区高校生東北スタディツアー報告会が開催されました。

これは、NPO法人の運営により、毎年、浜北の高校生が東北被災地を訪れ、被災を経験された方からお話を伺い、震災遺構を直接みるなどして学習するツアーが開催されているのですが、その学生による報告会です。

こうした報告会というアウトプットの場があることで、学習は何倍も深いものとなると思います。大変よい企画です。

その報告会で90分の講演依頼をいただきましたので、私からも東北被災地で何が起こったのか、被災地から何を学ぶべきか、大川小学校のこと、日和幼稚園のこと、七十七銀行女川支店のこと、釜石のことなどについてお話しました。

 

ただ、大切なことは、私が話をするまでもなく、既に高校生の言葉で報告され尽くしていました^^

大川小学校も日和幼稚園も実際に今回のツアーで訪ねておられたようなので、彼らが自らの得たものや知見と、私の話とがうまく混ざり合って、立体的な生きた知識、知恵に昇華されればよいな、と。

このスタディツアー、すごいのは一度行った学生は翌年もその次もまた参加するのがスタンダードになっていることです。

1回行っておしまい、で終わっていないことに感動します。

高校生の本気さにも、運営者の努力にも敬意を表したいです。

 

さて、私の話はさておき、高校生からの報告を以下ご覧ください。

聞きながら会場で打ち込んだ速記みたいなものなので誤植や聞き取りミスはご容赦下さい。

 

◎千年希望の丘(及び訪問した上での感想)の説明
・防波林 過去の災害でも防波林がある部分については被害が少なかったという経験則。今回の公園整備でも2m高くした上で植樹された
・コンロ機能付きのベンチの整備 3日間ほど火を使った避難生活が可能。救援を待つまでの間活用。
・仮説住宅サポートセンターの紹介 ←大事な視点ですね
・遠州灘と非常に地形的に似ていて同じ被害を想定しないといけないと思った

◎荒浜
・地震の影響より津波の影響大。沿岸部の家屋は壊滅。186名の犠牲者
・堤防機能を付加と防災林の復旧による減殺工事を実施
・1000年に一度、防潮堤は100年用災害に対応する防潮堤に過ぎないことの意識。ただ津波の進行速度を下げてくれると学んだ。防潮堤をたくさん建設してほしい。

◎石巻市 南浜つなぐ館 その他石巻市の被害について
・1800世帯の住宅が流出した地区に設置された
・町の復旧復興を伝える発信地の機能をはたしていた
・石巻市 死者3055名、不明425名
・石巻市の被害について詳しく説明
・日和幼稚園の事例紹介 もっとも安全な高台に幼稚園があったのに低地に移動して被災。日ごろから災害に対する杜撰な対応が招いた被害。バス横転後も救助活動が行われなかった。4歳から6歳の園児5人の命が失われた。
・日和幼稚園ご遺族の話の紹介。教育現場の人間には子供の命を最優先にしてもらいたいというパンフレットの紹介。
・なくなった方たちの思いを無駄にしないよう私たち若い世代がしっかりと震災の記憶、教訓を残し、受け継いでいかないといけないと感じた
・遺族の方の悲しみを強く感じ、他人事の意識が消えた

◎大川小学校
・被害の概要を詳細に説明
・学校管理下の事故として戦後最悪の被害
・校庭内での教員の避難に関する対立の話、裏山に逃げていた生徒も連れ戻されたという話
・語り部佐藤さんから聞いた話の紹介 命が一番大事・・・
・対策や避難方法を間違えなければ防げた被害。人災ととらえる者もいる。
・ここでおきたことを風化させないよう語り継いでいく必要があると感じた
・南海トラフ地震でこうした悲劇を繰り返してはならない。やれることをやる必要。

◎地福寺(気仙沼市)
・気仙沼市の被害の概要を紹介
・住職から聞いた話。津波の映像も。津波の脅威を感じた。津波はお堂の天井にまで達していた。地福寺では、家族を亡くした檀家らに読経。生きるのはとても大変、つらい、苦しい、悲しい。でもみなで手をつなぎあって生きていかなければならない
・津波タワーからみたいまの太平洋はとても落ち着いていて、地震や津波を感じるものはなかった。
・報道されていなかった被害を知ることができた。
・外部からの公助を待たずに自助と共助を大切にしていくことが重要と感じた

◎高野(たかの)会館(南三陸町 総合結婚式場)
・昭和61年に建設され地域の一時避難場所
・当日は町の芸能発表会。地震時閉会式を3階で。職員が4階をみると海面が下がっていた。必ず津波がくるので帰宅してはいけないと職員が指示。館内にいた人の命を守った
・館内を特別に案内してもらった。会館にいた300名以上は4階やその上の機械室はすし詰め状態だった。敷地内には魚なども生きたまま流されてきた
・建物内はいまでも瓦礫散乱。泥もそのまま。津波の到達点を示す泥の跡。壁や天井は壊され鉄骨もむきだしのまま。発表会の会場だったとは想像もできない。恐怖。
・三階にあった神殿は津波到達があったにもかかわらず無事。古くからの日本人の建設技術の高さを感じた
・高野会館は震災遺構として残したい。しかし防災会館が既に遺構として決まっていて、1つの自治体の1つしか予算がでないという現状
・職員が機転をきかし命を救ったが、なかには帰宅して命を落とした人もいるという。
・行政を本当に信じていいのか自分の頭で考えないといけない。
・行政が感じる復興と市民が感じる復興のギャップもあるという。普段から行政と市民が話し合っておかなければならないと感じた。

◎BBQでの火おこし体験(恋人岬近く)
・災害時はどんな状況になるかわからない。役立つ術を学んだ
・復興のための観光誘致も大事

◎命の森(志津川湾)
・桜の植樹、地域の憩いの広場へ
・第一展望台、第二展望台を震災後、防災の役割も兼ねて建設(前者は慰霊碑の役割も)
・展望台の避難路の整備をしたほうがよいと感じた(道幅を広げたり、手すりのとりつけも)
・現在は人工的に作られた斜面だったので当日も雨天で滑りやすく危険だった。これが震災ならどうか。避難できないかもしれない。そこまで考えての避難路の整備が重要だと感じた

◎浄勝寺
・座禅体験を行った。1時間
・ツアー全体として各自が考えたことを整理する場として座禅を活用
・命をどまんなかに、片手に学び、片手に交流というあべさんからのお話を再確認

◎浜松の台風24号の経験
・メンバーの中にも4日間の停電を経験した者も
・スタディツアーにより防災の意識が高まっており対処できた

◎ツアー参加高校生各自の感想(スペースごとに別の発表者)
・命てんでんこ、とともに、「積極的避難者であれ」という言葉が強く印象に残った。
・過剰に逃げたほうが命を助かる。逃げることでほかの人の避難をも促す重要性

・ツアー参加は2回目?災害ボランティアでも被災地に入ったことがある。今回は、東北の復興について考えた。3.11から時間が少し経った東北をみたかった。
・災害の対策は、災害自体の対策(防災)だけではなく、災害後に備えた対策が非常に大切だと感じている。ボラセンの立ち上げ訓練も備蓄も。このツアーで一層強く感じた。

・将来救急救命士になりたいと思っている。救命士のかたがあの日どのような対応をしているのかを知りたくてツアーに参加した。
・震災後救助活動が十分に行えてなかったときいた。南海トラフ地震でも同じ状況が浜松でも起こると予想された。自分の行動が非常に大切になる。
・少しでも救助活動に貢献したい。救命士になりたい思いが一層強くなった

・自分の命を自分で守ることの重要性を感じた。それがないと家族の命も守れない

・参加理由は2つある。1つは、3.11により防災意識が高まったこと。もう1つは防災関係の職につきたいと思っているから。3.11の日、そろばん教室でのんきにそろばんをはじいていた。テレビではコンビナートで火災が起きていた。災害時にいかに正しい行動をとれるか。少しでも被害を減らすように普段から防災意識を高めることが大切。地震が発生したとき、自助共助の大切さを痛感。

・はじめて参加。参加理由は、中学生から地域のボランティアに参加していた。防災のボランティアの経験はなかったので経験してみたいと思い参加した。
・東北もはじめて。語り部さんの話を聞いたり、震災現場を見学しているうちに、自分の目でみないとわからないこと、実際に聞かないとわからないことが多々あった。
・震災を忘れてはいけない、風化させてはいけない、後世に残さないといけない。

・参加理由、看護師になりたいと思っていて、たくさんの人やコミュニケーションをとることや、少しでも困った人の役に立ちたい。困った人のためにできることを学びたかった。
・ツアーで学んだことを決して忘れず災害時に自ら行動して役に立ちたい。

・ツアー参加は今回で3度目。最初は中2、次に中3、今回高1(★すごいなあ)。
・これまでツアーに参加してもその後の発信ができなかったが、今回、こうして発表させてもらったり、友達に話をしたり、発信ができていると思う。
・印象に残っているのは大川小学校。自分の弟が小6。大川小学校の惨状をみてきいて胸が痛んだ。学校防災や地域の防災など、自分以外の人たちとやっていく防災も大事だが、自分自身でできる備蓄や家族、よりパーソナルなことも大事な一歩になると思っている
・みなさんも家族でこうした話をしてもらい、南海トラフでより多くの人が生き延びてもらいたい

・ツアー参加は今回が5回目。今回は正直軽々しい気持ちで参加したところもあり(あとで非常に後悔した)
・宿泊場所は公民館。避難所訓練も兼ねていた。サブリーダーの役割も、最初は安易に考えていたが、避難を考えての宿泊訓練は実際やってみると、必要なことを考えて行動するのが非常に難しかった、精神的にもきつかった。(←★涙ながらの吐露)
・タイトなスケジュールの中で、参加者の高校生や大学生とツアーのコーディネーターからの指示との間の板挟み。スケジュールや課題の関係で無理難題をいうコーディネーターと、参加者にそれを伝え、理解し、動いてもらわないといけない難しさ。
・しかしこのきわめて難しい役割を経験したことで大きな成長につながった
・災害がきたときに少しはうごける人材になれたかもしれない

・ツアー参加は今回が4回目、東北被災地にいくのは8回目。最初は中1。最初は全然復興が進んでいないと思った。陸に残された巨大な漁船も当時そのままだった。
・大川小学校が強く印象に残っている。実際に校舎に入った。津波の水圧で床がもりあがったり破壊されたり。
・本来なら助かる命だったという語り部の方の話を聞き胸がいっぱいになった。このようなことを二度と繰り返してはいけない。そのためには防災の知識をみにつけ、意識を高く持つ必要がある。どんな状況でも適切に動ける人になりたい。

・リーダー。ツアーは3回目。別に1回いき、高校時代に4回いった。
・小学校時代、伊豆旅行中に震度6の地震。津波注意報がでていたのに、自分の親は、予定どおり海で泳ぐと判断した。
・東日本大震災は小5のとき。津波映像をみて言葉もでなかった
・いま考えるとツアー参加はこうした1つ1つの体験の積み重ねかもしれない。
・2年目からツアーで感じる景色が変わった。東北を起きていることをみて学ぶだけでなく、浜松でどう生かすかという視点になった。
・自分の高校の上靴がスリッパだったが、それだと避難できないと高校に進言した。そうすると学校は、靴にしたらふむやつがいるから、といわれた。今後も学校に対して働きかけたい。
・3年目の今年は避難所という視点。2年目はどうやって生き残れるかという視点が強かったが、今回は生き残ったあとの問題について考えることができた。
・スタディツアーで学ぶのは、普段当たり前のことが当たり前ではない、ということ。

 

高校生、また同行した大学生の皆さん、運営者の皆さん、大変おつかれさまでした。

平成30年12月

弁護士 永野 海