洞爺湖・有珠山の2回目は,有珠山の1977年から1982年にかけての火山活動についてみていきます。

このときの噴火では,写真奥の中央やや左の山,有珠新山が誕生しました。

いまでも噴気活動が続いていますね。

この時に被害を受けた病院が「1977年火山遺構公園」として保存されています。

有珠山では,有感地震の発生から3日から10日ほどで噴火がはじまることが多かったのですが,このときはわずか32時間後に噴火しました。

前例だけを前提に避難を考えてはいけないという教訓を残してくれます。

特にこのときは,

「前回の昭和新山を作った1943年からの火山活動では,有感地震から噴火まで半年ほどありましたから」

これを前提に対応していたら多数の犠牲者がでてしまっていたでしょう。

この病院は,火砕流ではなく,火山活動により地面が隆起して生じる断層により倒壊しました。

先ほどの有珠新山の成長に伴って洞爺湖側が地盤が25mも湖側へ動いたのです。

その地盤上にあったのがこの病院でした。

 

病院では,院長が,有感地震のあと賢明にも速やかに徒歩での避難を決断。

230名の入院患者らは12km離れた避難予定地の小学校に徒歩で移動しながら,順番に,途中でピストン輸送を行っていた救助車両に運ばれて避難しました。

早い避難決断が命を救ったのです。

 

この時の火山活動でおこった大規模なマグマ水蒸気爆発でできたのが,写真の銀沼大火口です。

噴火の大きさを物語ります。

 

この1977年噴火では,火山活動で動く断層帯への注意が必要であることを教えてくれました。

過去の火山活動で明らかになった断層帯には役所,病院などの重要施設や居宅をもうけないことが最低限必要です。

この倒壊した病院も,この77年噴火の後に対岸に移転し,2000年の噴火では被災を免れました。

洞爺湖温泉小学校もこの地殻変動で損壊し,移転しましたが,なんと移転先で再度2000年噴火による被災をしました。

どこに避難,移転するかの判断は難しいですね。

 

洞爺湖ビジターセンター内の火山科学館では,このときの噴火を体験する施設もあります。

77年噴火では,発生した泥流により3名の死者・行方不明者がでました。

 

有珠山の噴火場所を予測することは現代の科学ではかなり困難なようですが,

上記のようなハザードマップは最低限把握して,かつこれを鵜呑みにせず安全の幅をさらにとった上で居住地,避難場所を選定する必要があります。

平成30年5月

静岡市清水区 弁護士 永野 海