大西山の山体崩壊 訪問記
昭和36年の梅雨前線豪雨,通称,三六災害(さぶろくさいがい)をご存知でしょうか。
法律家なら思わず,三六協定? と見間違えてしまいそうです。
三六災害は,昭和36年6月から7月にかけて,特に長野県南部の伊那谷など天竜川流域が集中豪雨に襲われ,甚大な被害をもたらした災害です。
長野県の大鹿村にあります。
中央構造線博物館のすぐ近く,この地図では大西公園が目印です。
被害は長野県だけでなく全国に及び,消防白書によれば,死者302名,行方不明者55名,全壊家屋1,758戸,半壊家屋1,908戸,床上浸水73,126戸,床下浸水341,236戸を記録しています。
特に,豪雨の影響を受け,6月29日、下伊那郡大鹿村の大西山(1741m)が,天竜川水系の小渋川側に山体崩壊した被害は甚大で,崩落した土砂は一瞬で対岸の集落を飲み込み,39戸の家屋が土砂に埋まり,42名の死者をだす大惨事となりました。
(大西山の山体崩壊跡)
目撃者の証言から,崩落直前,山の上が動くように見えたとのことから,崩落部上部で山にひび割れが生じ,そのまま屏風を倒すかのように山体崩壊が生じたとみられています。
この山体崩壊が起きたのは6月29日でしたが,当地の最大雨量を記録したのはその2日前の27日でした。降雨量の峠を越しても油断できないことを教えてくれます。
この大西山は,中央構造線沿いの山です。
中央構造線のうち,この大西山側(内帯)は,領家変性帯といって高温低圧の環境で岩石が別の種類に変性した岩石群からなる地質。
他方,大西山の反対側(外帯)は,三波川変性帯といって低温高圧の環境,具体的にはプレートの潜り込み帯などで変性された岩石からなる地質です。
(これが三波川変性帯の緑色片岩。きれいなので庭石などでも重宝されます)
(鹿塩マイロナイト。中央構造線博物館HPからお借りしました)
大西山の崩壊した部分の地質はほとんどが鹿塩マイロナイト(鹿塩片麻岩)といわれています。
鹿塩マイロナイトは,8000万年~7000万年前の白亜紀末期に、深さ15km,350℃の環境で作られた岩石です。
もともとは石英閃緑岩だったものが,上記環境のなかで,断層の動きによってすり潰されて変性してできたもの。
(我が家に鎮座する石英閃緑岩。大好きな石です)
これが変身して鹿塩マイロナイトになるんですね。
(中央構造線博物館と背後の崩落した大西山)
大西山は,崩落部が主に鹿塩マイロナイト,その上部は花崗岩でできています。
井良沢道也教授によれば,鹿塩マイロナイトは硬い岩石ではあるものの,雨水が浸透しやすく風化しやすい性質を持つため,地下水が浸透し,山体崩壊(しかも大雨の峠を越えたあとの崩落)の原因になったものと推察されています。
この山体崩壊の砂防工事は難航し,途中で工事関係者が崩落に巻き込まれる死亡事故も発生しています。
重しになっている上部の花崗岩を削り取る予防工事などもされているようですが,写真でみる限り,現在も大谷崩れなどと同様,崩落傾向は続いているようにも見えます。
(大谷崩れの山体崩壊跡)
山体崩壊は,宝永地震,安政地震で崩壊した白鳥山(富士宮市)の項でも紹介したように,一度発生すると河川も超え一気に対岸の集落まで飲み込む大惨事になります。
こうした崩落跡を目の当たりにし,いま一度土砂災害への備えを確認したいところです。
平成29年11月訪問
静岡市清水区 弁護士 永野 海