震災から7年
(大川小学校のジオラマ。旧大川小学校横のプレハブ内でみることができます)
蒲郡市で3月11日を迎えました。
目が覚めて夜中の3時。真っ暗な三河湾。遠くには漁船の光が見えます。
今日この日は自分の1年間の災害問題への取り組みを振り返る日でもあります。
(石巻市日和山公園からの旧北上川)
今年は、2月24日の津波防災公演が最大の取組みでした。
これまで命をつなぎとめた「あと」の問題について、法律家としてみなさんに伝える取組みをしてきましたが、はじめて命をつなぎとめる「ため」の問題に取り組んだことになります。
防災学者でも被災者としての語り部でもない、単なる一地方の法律家がなぜ防災を語るのかというところもあるかも知れません。
「津波被害訴訟を法律家として分析、紹介」などというそれらしい説明も理屈では可能なのでしょうが、そういうことではなく、単に一人の人間として、被災地で見たもの、感じたもの、教えてもらったことを自分なりに咀嚼し、何か1つでも伝えて、100年後、1000年後の子供たちの命を守りたい、ということに尽きます。
(大川伝承の会の語り部の皆さん)
私が小学生の頃学んだ防災というのは、
非常ベルが鳴る→地震だ→机の下に隠れる→だらだらと校庭に→先生の点呼→おつかれさまでした
これだけです。
ひょっとすると、もっと奥深いものを教わっていたのかもしれませんが、私の記憶と体に残っているのはこれだけです。
でも、これでは津波からは全く命を守れません。
かえって有害な訓練でさえあります。
こんなことを思うようになったのは、私が小学校時代を過ごした海のない大阪の高台のニュータウンではなく、すぐ横に海がある静岡市清水区に、そして南海トラフ地震で確実に被害を受ける町に暮らすようになったからでしょう。
ニュータウンで死ぬまで生活していたら、どれだけテレビで映像をみていても、こんな問題意識は持てなかったのではないかと思います。
この一度きりの人生は、将来の子どもたちの命を守るために少しでも使いたいと強く思うようになりました。
(閖上の記憶の語り部さんと)
昨年は被災地を数多く訪れる機会をいただいた年でした。
岩手、仙台、熊本、そして石巻、女川、閖上、山元町。
被災地の土を踏みながら痛感したのは、自分一人で被災地の景色だけをみてなにかわかったようになることが一番危ないということでした。
長くなりそうなので詳述しませんが、特に最初は、必ず災害を直接経験した人から教えてもらうことが何よりも重要です。
被災地の景色を誤って理解するほど悲しく、残念なことはありません。
自分の頭で整理し、考えるのは、たくさんの混じりけのない情報を得たあと、人から十分に学んだあとにしたほうがよい、というのが私が学んだ最大の教訓かもしれません。
(七十七銀行女川支店事件のご遺族田村さんご夫妻と)
そう考えたとき、被災地における語り部さんの役割というものがいかに尊いか、ということがよくよく理解されます。
この日本という国は、自然災害と豊富な自然による豊かな人間の営みが表裏一体となった場所です。
地球上の全てがそうですが、日本のまわりに集まったプレートとそれによって生じている海溝やトラフをみたとき、特に日本列島が特殊な立地にあることが理解されるはずです。
年に1回非常ベルで机の下に、そして点呼の防災ではなく
100年、1000年後の子孫のDNAにも刻み込むような、この国でいきる人間の自然な作法として防災というものを身につけることが重要なのです。
私は何匹も鳥を飼っていますので、鳥がいかに先祖代々DNAに刻み込んだ命を守る作法を身につけているかみているとよくわかります。
よくわからなければまず逃げる、すぐに警戒モードに入る
誰に具体的に教わるでもなく生まれた瞬間に身につけています。
それと同じように、われわれも自然災害に向き合う作法を身に付けないといけません。
(旧門脇小学校の生徒らの命を救った、日頃から訓練で使われていた学校横の高台への避難経路)
そうした防災の作法が、ごく自然に身体の一部に浸み込むような防災教育を全国の小学生、中学生らにしてもらいたいと強く願います。
どうか学校というものが、東日本で起こった学校での悲劇から目を背けませんように。
どうか会社というものが、東日本で起こった会社での悲劇から目を背けませんように。
どうか地域というものが、東日本で起こった地域での悲劇から目を背けませんように。
そして、災害が怖いから防災をするのではなく、この国でいきる者の当然の生活上の作法として防災が位置付けられますように。
(常磐山元自動車学校跡地に刻まれた、あの日何があったのかを伝える慰霊碑)
この意味で防災を行うためには、自然というもの、地球というものを深く知ることが不可欠だと思っています。
この1年もたくさん地球、自然を学び、微力ながら少しでも皆さんに自分が感じたこと、学んだことをお伝えしていければと思っています。
平成30年3月11日 東日本大震災から7年目
静岡市清水区 弁護士 永野 海