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中央構造線 長篠の露頭 ぶらり防災の旅

愛知県新城市長篠。

織田徳川連合軍と武田勝頼が戦ったあの長篠です。

しかし,長篠でせめぎ合ったのは彼らだけでなく,日本の内側と外側を分かつ2つの地質帯もこの長篠で壮大なせめぎ合いを繰り広げています。

 

兵どものが夢の跡,的な光景ですが,この奥に,日本の西側,西南日本の内帯(内側)と外帯(外側)をわける大断層,中央構造線の断層露頭部分があります。

この日は集中豪雨の直後で露頭下の宇連川はとんでもない水量,濁流。

こういう日は観察は基本控えましょう・・・

 

さて,雨も上がったので露頭探検の旅に(実はすぐに着きます)。

 

中央構造線という大断層が最初に活動を開始したのは,まだ日本列島がユーラシア大陸の東端にくっついていた時期です。

ジュラ紀の最後の方。

当時,ユーラシアプレートにイザナギプレートがぶつかる構造がありましたので,このプレート運動によって何度も何度も断層が動き,数百キロから1000キロにも及ぶ横ずれの大断層が生まれました。

特に白亜紀の活動が顕著だったようです。

 

九州から関東まで続く大断層ですが,ここ新城市は,長野県大鹿村などと並び,断層の露頭を理想的な形で観察できる数少ない場所です。

とんでもない規模の横ずれ断層が生じたたために,まったく別の時期に形成された本来絶対に出会うことがない2つの地質(内帯の領家変成帯と外側の三波川変成帯)が,こんにちは!,と出会うことになったのです。

 

北側にある内帯の領家変成帯というのは,ジュラ紀にできた付加体(他のページを参照してください)が,白亜紀に比較的地表に近い場所でマグマの熱により変成された岩石。

南側(今の日本列島の形になる前のユーラシア大陸の東端にあった時代は東側,まさに海に近い外側ですね)にある外帯の三波川変成帯は,プレートの潜り込む場所でその圧力により低温(←マグマの熱ではないので)高圧で変成されてできた結晶片岩です。

低温高圧により変成される(変身する)前の岩石は,泥岩だったり(黒色片岩に変身します),玄武岩(緑色片岩に変身します)だったりします。

個人的には,緑色片岩が好きです。

緑色できれいなので庭石にもよくみられます。

(ただし,露頭部分の岩石は風化しているので,黒色片岩と緑色片岩の見分けも全然容易ではありません)

 

(以上,鳳来寺自然科学博物館の資料を写真撮影したもの)

中央構造線の露頭が観察できる場所がわかりやすく図示されています。

なにせこの長篠の露頭がピカイチです。

 

宇連川,ものすごい増水しています。

 

慎重に下っていきます。

 

油断しなければそれほど危険ではありません。

 

ものの数分で露頭に到着!

すごい迫力です。

仮設的な観察台もかなりの迫力です・・・

定員制限がされていました・・・

 

恒例の教育委員会の説明看板。

 

三波川帯の上に領家帯が乗り上げています(中央構造線は基本的に横ずれ断層です)。

結晶片岩の,「あんた重いよ・・・」という声が聞こえてきます。

 

繰り返す断層運動で岩石はかなりぼろぼろになっています。

 

右側はこんな感じ。

 

右側を拡大。

三波川帯の結晶片岩は黒いですね。

黒色片岩でしょうか。

 

ここだと三波川帯の方の破砕が目立ってみえます。

 

 

左側はこんな感じ。

単管パイプの外にでると宇連川に転落しますのでくれぐれもご注意を。

 

記念撮影を。

 

パノラマ写真でご覧ください。

 

別れ際に最後の1枚。

すばらしい露頭でした。

こうした地質境界としての中央構造線と,活断層としての中央構造線のラインは必ずしも一致しません。

ただ,特に近畿南部から四国の伊予地方までの区域については両者が基本的に一致していますので特別注意が必要といえます。

 

露頭近くに落ちていた石。

結晶片岩でしょうか。

 

こちらは領家帯の片麻岩?

 

この石は手でもっただけで崩れていきました。

破砕された粘土の状態でしょうか。

皆さん,ぜひ長篠城跡や,湯谷温泉,鳳来寺観光とともに中央構造線も忘れないでください。

平成30年4月

静岡市清水区 弁護士 永野 海

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