伊那市の中央構造線(長野県伊那市)
毎度おなじみ地質調査総合センターさんの中央構造線解説図。
中央構造線が、渥美半島を抜けたあと、新城市から長野県の飯田、その後諏訪に向かう際に急カーブして北上しているのは、丹沢山地や、伊豆半島など(伊豆バー)が日本列島に衝突したことによって曲げられたことによるとも考えられています。
今回はこのあたり。
長野県は伊那市。西の中央アルプスと東の南アルプスに囲まれた、伊那谷の北部に位置するとても美しい場所です。
マウス操作が下手ですみませんが、Aが日本列島を西と東に分かつ、あるいは、ユーラシアプレートとフォッサマグナを分かつ糸魚川静岡構造線。黄色のBは、中央構造線。
基本的なラインは衛星写真からもよくわかります。
Aが木曽山脈(中央アルプス)、Cが赤石山脈(南アルプス)。
その間に、Bの伊那山地があります。
Aの中央アルプスとBの伊那山地の間には、Dの伊那盆地(伊那谷)があり、Bの伊那山地とCの南アルプスの間に、中央構造線が走っています。
つまり、ここは、4つのプレートが押したり引いたりずれたりする変動帯たる日本列島の象徴のような場所です。
個人的には、そこにいるだけでわくわくする場所です。
山は最初から山としてあったのではありません。
山がそこにある理由は、もともとは平地だったのに、ある日火山活動でできたか、プレートに押されてうにゅっと隆起して山になったか、だいたいどちらかです。
A、B、Cの山地、山脈がここ最近(←200~300万年という単位)で生まれた原因は、昔は、はるか東にある太平洋プレートに押され押されて、うにゅっと隆起したから、と長い間考えられていたようですが、
最近の研究では、実は、日本が東西方向に圧縮されているのは、南にあるフィリピン海プレートに押されているからだと言われています。
https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2017/pr20170629/pr20170629.html(産業技術総合研究所のHP)
↑とてもわかりやすく、おもしろいです。(太平洋プレートに押されて隆起したのだとすれば、太平洋プレートの動きはこの4000万年ほど変わっていないので、もっと昔から山が隆起していないとおかしい、という疑問が出発点だったみたいです)
この300万年前ほどから、この地域は、フィリピン海プレートに押されて隆起し、山々が生まれました。A(中央アルプス)やB(伊那山地)やC(南アルプス)ですね。南アルプスなどは毎年4mmずつ背が高くなっています(逆に侵食もあります)。
他方で、伊那断層など断層を境にして山(中央アルプス)が隆起する一方で、山と山の間にある(隆起する場所と隆起する場所の間にある)Dの部分が沈み込み、盆地になり、そこを天竜川が流れ、河岸段丘や扇状地を作り、そこに人間の営みを作り出しました。
自然と人間の暮らしは密接につながっています。
↑このあたりについては、中央構造線博物館の河本先生の解説がとてもわかりやすいです。河本先生は、以前お会いしたときにも、自然の現象(ときに自然災害となる)と人間の営みが表裏一体であることを強調してお話されていました。
と、前置きはこれぐらいにし、伊那市の中央構造線です。
Bの伊那山地と、Cの南アルプスの間を走っています。
中央構造線が走っているので、何度も何度も何度も何度も断層が動き、地質がもろくなって、河川などによって侵食され、断層特有の谷の地形を作ります。
伊那山地と赤石山脈の間が中央構造線によって谷になっていますね。
一部のパワースポット好きな方には有名なゼロ磁場の分杭峠からの景観。
中央構造線が作ったV字の谷が延々と続いています。
さて、伊那市にある1つめの中央構造線の露頭。
伊那市高遠町にある板山露頭です。
地域の皆さんが露頭を大切に保存してくださっています(年に3回ほど除草などもされていると中央構造線板山露頭の会代表の伊東さん(ジオパークガイド)が教えてくださいました)。
露頭の一部がみえてきました。
左右で色の異なる境界線(中央構造線)の左側が、西南日本内帯の花崗岩類の岩石で、右側の黒いのが西南日本外帯の結晶片岩です。
河本先生によると、左の淡褐色の内帯の岩石は、より厳密には、花崗岩が深い場所で地震のたびに割れずに変形したマイロナイトです。
さらに、その後地表に隆起してからも断層運動を受け続けて破砕され破砕岩(カタクレーサイト)化しています。
何度も何度も断層運動を受け続けるとぼろぼろになっていくんですね(破砕岩)。
右側の結晶片岩もぼろぼろです。
この2つの地質は、いまではここで当たり前のように隣り合っています。
しかし、この2つの地質は、実は、生まれた場所も全然違うし(左側の花崗岩は火山の下のマグマだまりで冷えて固まった岩石、右側の結晶片岩は海のプレートが沈み込む場所でとんでもない圧力を受けてもともとの泥岩や玄武岩などが変身してしまった岩石です)、生まれた時代も数千万年異なります。
でも、その後中央構造線と呼ばれるようになった断層が動くたびに横ずれし、何キロ、何十キロ、何百キロとずれ続けたことで、ある日、「こんにちは!」と出会うことになったのです。
驚きの遭遇です。ペリー来航みたいなものですね。
この板山露頭のすごいのは、そのまま山を登ると中央構造線が作り出した谷地形を一望できる場所があることです。
北の諏訪方面への眺望です。
さきほどのようにぼろぼろになって侵食されやすい中央構造線沿いの岩石の性質によって、河川などにより侵食され、こうした一直線の谷地形が生まれます。
中央構造線、あるいは断層というのは、こうして山にまっすぐな谷を作り、その後、人々が往来する道となり、人間の文化にもつながっていきます。
谷の左右の山に注目してください。
左の山は急傾斜、右の山はなだらかな緩傾斜です。
左の山は、さきほどの露頭の左側の淡い褐色の地質、マグマが冷えて固まった硬い花崗岩類(さらにその後マイロナイトに変身)なので侵食に比較的強く急傾斜が残ります。
一方の右の山は、中央構造線の右側、さきほどの露頭でみた黒っぽい結晶片岩です。結晶片岩は、片理面といって、薄皮を1枚ずつ剥がすように、層に沿ってどんどん割れていく岩石です。
これは先日の三重の中央構造線のときの写真ですが、層に沿ってどんどん割れていきます。
だから、層に沿って地すべりや侵食が生じて、右の山のようになだらかな形になっていきます。
こうして、なだらかになった山には、人々が生活できる場所が生まれ、ここにもまた文化が生まれていきます。
自然現象、自然災害、人々の暮らしは、どこまでもつながっています。
ちなみに、写真奥まで谷筋が貫いていないのはどうしてでしょう。
奥は、200万年ほど前の火山活動で流れた溶岩などの噴出物で中央構造線の地質を覆っているため(塩嶺溶岩)、侵食がはたらかないようです。
さて、次の露頭に移動しましょう。
中央アルプスが美しくそびえ立っています。
高遠城址付近からの中央アルプス遠景。
同じ場所で東側を振り向けば雪化粧のはじまった中央アルプスが(仙丈ヶ岳3033mでしょうか)。
ぜいたくな場所です。
同じ仙丈ヶ岳、高遠さくらホテル付近から。
2つめの溝口露頭です。
美和湖にあります。
伊那市の中央構造線は、さきほどの板山露頭もこの溝口露頭もとてもアクセスがしやすく便利です。ちなみにジオパークの看板もわかりやすく秀逸です。
美和湖は、南アルプスを源流とする三峰川(みぶがわ)をせき止めて作られたダム湖です。
この露頭からも中央構造線が生み出した南側の谷地形がみられます。
ここでもやはり右側の花崗岩類の山は急斜面で、左側の結晶片岩の山は地すべり地形でゆるやかな傾斜になっていますよね。
奥にちょこんとV字に凹んでいるところが、さきほどご紹介した分杭峠です。
あそこを中央構造線が通っているわけです。
152号線でつながっていて、分杭峠を超えると大鹿村に入ります。
さて、溝口露頭。
これも見事ですね。
右側の結晶片岩(泥岩をもとにする黒色片岩)と左側の白色系の地質の境界がクリアです。
こういう説明方法は子どもたちにもわかりやすくてよいですね。
たくさんの人に、地形、地球、断層ってすごい!、面白い!と思ってもらわないといけません。
地球、自然、地形について何も意識しないまま過ごしてしまうと、自然災害にもどうしても弱くなってしまいがちです。
ここは少しややこしく、右側の結晶片岩の破砕岩はよいとして、写真中央の淡褐色の地質は珪長質(長石や石英などが多い)の岩脈だそうです。岩脈ということは、あるとき、この断層の隙間に地下からマグマが上がってきて埋めたんですね。
1500万年前ころ、つまり日本列島がアジア大陸から分裂して現在の位置に移動してきたころの地殻変動がとても活発だった時期のマグマのようです。
写真左端の少し色が変わった岩の部分から西南日本内帯の岩石のようですが、花崗岩類ではなく、変成岩が破砕岩化したものとのこと。
ただ、内帯の岩石には分類されています。
ですので、この写真中央の岩脈の左が内帯、右が外帯、岩脈自体(厳密には岩脈の左右)が中央構造線ということになります。
これはさきほどの写真のさらに左側。
写真中央やや右側に地質境界がありますね。
その右がさきほどの変成岩の破砕岩(カタクレーサイト)、左側の硬そうな岩が、花崗岩類のマイロナイト(がさらに破砕岩化したもの)です。
岩脈と変成岩の破砕岩の境界付近。
境界付近というのは、観察しているだけで飽きませんね。
写真の大半を占める黒色片岩の間に白っぽい部分があります。
ここは地表付近で何度も断層運動にさらされて岩石が粘土化した部分です。
断層粘土。地球が作った粘土です。岩石を何十キロにもわたって破壊するのみならず、さらに粉々にして粘土にまでしてしまう地球のエネルギーのすごさ。
では、最後にさらに152号線を南下した伊那市と大鹿村の境、分杭峠の写真を。
個人的には全く興味がありませんが、ゼロ磁場とやらのパワーにあやかろうと全国から人が訪れるようです。
でも私がみたいのはあくまで分杭峠からの中央構造線の谷。
この先が大鹿村。
次回は、大鹿村編をお届けします。
令和2年10月 弁護士・防災士 永野 海