死都日本 石黒耀(講談社)2002年

 

現在,新燃岳の噴火がニュースになっていますので,過去にこの小説をお読みになった方は,この小説で描かれた恐怖の世界を思い出されたかもしれません。

宮崎県の霧島連山の背後に眠る加久藤火山が30万年ぶりに破局的噴火をしたことが物語のスタートです。

Wikipediaによれば,加久藤火山について

「約33万年前の大噴火で発生した加久藤火砕流は薩摩半島と大隅半島の中部以北と人吉市付近および宮崎平野にまで広がり、半径約50kmの範囲に溶結凝灰岩の地層を形成した。同時に放出された加久藤火山灰(Kkt)は本州中部でも確認されており、覆われた面積は約3千km2、噴出物の体積は合計約100km3(50 DRE km3)にもなる。」

と記載されています。

九州には,阿蘇山以外にも,大噴火の結果巨大なカルデラを形成した巨大火山が複数あります。

こうした巨大なカルデラを作るような火山が本気の噴火をしたときの威力が,そこらの噴火とは次元が違うということは,ある程度常識的には皆さんご存知かもしれません。

鹿児島の南の沖にある鬼界カルデラが6300年前に噴火した時には,九州の縄文人を全滅させたといわれています。

鬼界カルデラといえば,先月もニュースになっていましたね。

「神戸大海洋底探査センターは9日、鹿児島県・薩摩半島の南約50キロにある海底火山「鬼界カルデラ」(直径20キロ)に、世界最大級の溶岩ドーム(直径10キロ、高さ600メートル、体積32立方キロ超)を確認したと発表した。採取した岩石などから、巨大カルデラ噴火を起こす大規模なマグマだまりが成長している可能性があるとしている。」(毎日新聞記事より引用)

恐ろしいニュースです。

「死都日本」を読んだあとなら,恐ろしさはさらに1000倍になると思います。

しかも前回縄文人を全滅させた噴火はわずか6300年前です。

さきほどの加久藤火山の噴火が33万年前であることと比べると,昨日のことのようにリアリティがあります。

この小説の著者は医師で,現在も大阪で内科医としても稼働されているようです。

よほどしっかりと勉強されているのか,地学,地球科学という側面でみても豊富な情報量で,読んでいてリアリティを感じられます。

だから面白いし,またリアルで怖い,ということになります。

地学,地球科学だけでなく,古事記や日本書紀,あるいは旧約聖書や海外の神話についての言及と,それと火山災害に結び付けるロジックも緻密で,思わず説得されてしまいます。

神=畏敬の対象

畏敬の対象=火山噴火

地球史,人類史を考える上でとても重要な視点だと思います。

以下は,私の先日のSNSでの投稿です。

今朝の室崎先生の投稿を拝読しながら防災とまちづくりって何と難しい問題だろうと改めて思います。人が自分らしく生きる権利や自由,財産権の保障,市民の安全を守る必要性,財政の限界,人口減少と過疎,少子高齢化,生業の維持,誰が決めるのか,決まらないときどうするのか,地域ってなんだろう,故郷ってなんだろう,この地球上で生きるってどういうことだろう。一人ひとりを大切にすればするほど決められなくなる呪縛も抱えながら。

対象面積がずっと狭くて,災害頻度も津波よりずっと多いと理解してもらえる土砂災害の特別警戒区域すら指定がなかなか進まない問題を各地は抱えています。100年1000年に一度の津波を前提に誰が,どのように,どこに向かって議論を進めていけばよいのか。

今日,5年後,10年後,30年後,100年後の東日本大震災のさまざまな沿岸部の姿を貴重な情報として得ながら,その地域地域で悩んで悩んで悩みながら最初の一歩を進めるしかないのかなと。
しかし,それで南海トラフの地震に間に合うかしら,と。

 

「死都日本」という小説は,まさにこの問題意識を掘り下げている小説でもあります。

この日本で生きるということはどういうことなのか。

日本人はどのように自然や自然災害と共生していけばいいのか。

改めて考えさせられます。

私は,上記SNSで,自然災害との共生の形について具体的に一歩を踏み出すときの住民合意の難しさ,国民的合意の難しさに言及しました。

この点,この小説では,日本という国が滅亡するほどの自然災害(カルデラ噴火)が実際に起こったことを契機として,この住民合意,国民合意の問題を解決しました。

逆にいうと,国が滅ぶか滅ばないか,あるいは,選択の余地がないほどの極限的状態にならない限り抜本的な舵の切り替えがやはり難しい,ということも意味しているように思います。

そして,前記の毎日新聞のような記事がでても,それで国民が右往左往する,という事態は全く起きていないですよね?

九州のカルデラ噴火は将来必ず起こります。

この死都日本が描いたような破局的被害までには至らないかもしれませんが,それとそれほど次元は変わらない程度の絶望的な被害は間違いなく将来発生することになります。

でも,やっぱりそういうことに目は向けられないのが人間なんですよね。

100年先の南海トラフがせいぜいのようです。

意識が特に高い人は1000年後の海溝型地震についても念頭に人生を過ごせるでしょう。

でも,6000年に一度とか,6万年に一度とか,30万年に一度,日本列島を存亡の危機に陥れるカルデラ噴火については,(その発生自体は確実であるにもかかわらず),考慮にいれて生きるということはできないんですね。

この小説はそのことも改めて教えてくれるように思います。

噴火災害に関しては,この小説でも,何度も雲仙普賢岳の噴火に言及されています。

それは,火砕流,火災サージ,噴火災害後の土石流といえば,それについて仮に知識がある人がいても,それはせいぜい経験した雲仙普賢岳しか想像できない,という皮肉の意味でです。

それは仕方がないことだし,また,実際,人間というのは,対応可能な規模の災害(普賢岳の噴火)には目を向けようとしても,このカルデラ噴火のように,

 

対処法なし

あるとすれば九州に住まない,日本に住まないこと

 

みたいな能力を超えた災害のことは考えるのをやめてしまうということでもあります。

著者は,小説の最後で,日本人の大半を滅亡させるほどの威力がある小説内のカルデラ噴火について

地球からしたらちょっとくしゃみをしたぐらいのこと

という表現をしていますが(よく用いられる喩ですね),

まさに,この地球上に生きる,とか,生きている,って何なんだろうと考えてしまいます。

ところで,この小説はもうひとつ,私が日頃身近な問題として認識しているテーマについても考える機会を与えてくれます。

それは,災害と緊急事態条項の問題(憲法改正問題)です。

ここでは詳述しませんが,この小説では,このカルデラ噴火という未曽有の危機の前に,まさに緊急事態条項を制定し(憲法改正とは書いていませんが),期限付きながら,総理大臣に,国の災害対応を邪魔する人間はかたっぱしから逮捕できる,ぐらいの強大な権限を付与させ,その絶対的な権限を駆使して危機対応に当たっています(小説としてはそれによって危機に無事対応できた,というストーリーです)。

国家緊急権,緊急事態条項賛成派がこの小説をみたら喜びそうだなと思いながら読んでいました。

でも,本当に,この小説が行っているような政府の対応が現行法ではできないのか,冷静に,また緻密に考えてみないといけないですね。

テーマがテーマなので、この小説ではとんでもない数の人間が亡くなります。

そのため既に自然災害で大切な方を失われたような方にはお勧めできません。

むしろ、自然災害の恐怖を実感していない方が読むべき本です。

読み物としては、トンデモSF小説にならない緻密なリアリティがあり,そのため迫力もあり,冒険小説としてもとてもスリリングで,最後もいちおう未来に開かれた形で締めくくられている小説なので,夢中になって読み進められる作品だと思います。

噴火災害についても非常に勉強になると思います。

その上で,機会があれば,ぜひ九州の噴火災害の痕跡地をその足でたどってみてください。

私のHPでも,

直近の噴火災害なら雲仙普賢岳の訪問記を掲載しています。

また,この小説のようなカルデラ噴火の痕跡なら,まさに小説の中で恐怖の大王のように君臨している信じられないような大規模火砕流の痕跡として,溶結凝灰岩の大スケールの痕跡を高千穂峡訪問記で見ていただくことも可能です。

日本という国について実際にその目で感じてみてください。

 

平成30年3月

静岡市清水区 弁護士 永野 海