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大札山のメランジュ(川根本町)

 

雄大な(ただし冬期で水量が少ない)大井川。

川根本町で災害協定締結式に出席したあと、川根本町の「メランジュ」を見に行きました。

 

この日は早咲きの桜がきれいに咲き誇っていました。

 

 

川根本町の大札山周辺の地質です。

劈開(へきかい)といって、岩石が特定方向に割れやすくなる特徴が目立ちます。

叩くと、気持ち良いぐらいに特定の方向にパカっときれいに割れていきます。

これは粘板岩(スレート)でしょうか。

見た目だけなら、愛鷹山の火山岩の板状節理(ばんじょうせつり)とも見分けがつかないところが恐ろしいです。

 

 

川根本町の地質は、↑でいう黄緑の部分。

赤い点のところが大札山。

東側には、くねくねと蛇のように曲がりくねった大井川が流れています。

 

 

その割れ方から、頁岩(けつがん←本のページのように割れていくのでこの名前がついています)だと思いこんでいましたが、解説では基本的に「泥質基質」とのみ書かれてあります。

もちろん頁岩も泥質基質ではありますが。

 

 

岩石自体がそのようにぼろぼろと割れやすい性質をもっていますので、いたるところにがけ崩れが発生していました。

頁岩の話に戻ると、早川町新倉の緑色岩などの説明をみると、同じようにみえる岩石が、劈開(へきかい)が発達した緑色岩などと説明されていたりしますので、岩石の判別は難しいなあと改めて思いました。

 

 

大札山への道路は冬期で途中で通行止めになっていましたので、ここで車を停め、あとはひたすら歩きます。

 

 

川根本町の先程地質図で黄緑色になっていた地質は、付加体の地層です。

付加体というのは、海のプレートが日本海溝や南海トラフのような溝で、大陸のプレートの下に沈み込んで行く際に、沈み込めずに剥ぎ取られた地層や岩塊がそのまま大陸に押し付けられてくっついた(付加された)ものです。

 

 

東北大学総合学術博物館のサイトからお借りました。

プレートの下に潜り込めず大陸にくっついていくんですね。

いまの日本列島はこうした付加体が骨格をなしています。

 

 

 

(がけ崩れの様子)

付加体のでき方からわかるように、海洋プレートがぐぐぐっと沈み込む際の、地球レベルの大変な力によって押し付けられていますので、地層や岩石はそのままの姿ではいられません。

 

 

 

(断層のような直線)

固い地層もぐにゃぐにゃと褶曲(しゅうきょく)しますし、複数の地層や岩塊が、押し付けられる中で混ざり合ったりもします。

そうして混ざりあった状態を「メランジュ」といいます。

メレンゲ、と同じ語源です。

 

 

 

(ずいぶん登ってきました)

川根本町の付加体の地層(特にその時代から四万十帯とよばれます)は、そのプレートに押されてぐちゃぐちゃと岩石が混ざりあったメランジュがよく観察できることで知られています。

 

 

 

 

歩いているとなんとカモシカまで出現^^

 

 

 

逃げてしまいました。

逃げただけで小さながけ崩れが起きたほど、脆い山肌です。

 

 

泥質基質の地層が、このようにやはり褶曲していますね。

プレートの沈み込みがもたらした地層の変化で、地球の大きなダイナミズムを感じることができます。

 

 

 

そしてこれがメランジュ(たぶん)。

 

 

泥質基質(登山中は頁岩だと思っていましたがわかりません)中に、まわりとは異質な岩石が取り込まれています。

砂岩でしょうか、泥岩でしょうか。

 

 

少し拡大。

地層の並びを完全に無視して、突如鎮座しています。

プレートに押されて地層がぐちゃーーとなったときにたまたま取り込まれてしまったのでしょうか。

 

 

これもメランジュ?

 

 

海底地すべりなどでも、大きな礫が取り込まれることがあると思いますが、素人にはなかなかそうした様々な判別が難しいところがあります。

地学の専門家の先生にレクチャーを受けることが大切だなあ、と思います。

 

 

これなんかも美しい取り込まれ方だと思いました。

 

もみの木平まできました。

大札山の登山道があります。

登山道自体、崩れに崩れてぼろぼろでしたが。

 

 

もちろん川根本町のこの場所が昔、深い海溝だったわけではありません。

 

 

この付加体の地層ができたのは、数千万年前ですが、古い太平洋プレートがアジア大陸に沈み込んでいたときにできた地層です。

 

 

光沢のある劈開の性質のある泥質基質。

一度、この付加体はアジア大陸の東の端にくっつきましたが、その後日本海が生まれ、日本列島はアジア大陸から切り離され、現在の位置にまで移動しました。

 

 

(ここにも取り込まれた礫が)

その後、おそらくは現在のフィリピン海プレートに押されて隆起して山になったのが、いまの大札山ではないでしょうか。

 

 

いずれにせよ、川根本町にいるということは、昔、日本海溝のような、あるいは南海トラフのような海溝付近にあった地面の上に立っている、ということです。

壮大な地球の変化と時間の流れを感じられます。

 

 

(真新しい斜面崩落の痕跡)

どの場所でもそうですが、いまある場所だけを見るのではなく、どういう時間の中でその場所がその場所にあるのかということを少し意識してみるだけで、地球の見え方がずいぶん変わると思います。

 

平成31年2月

弁護士 永野 海

 

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