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宝永大噴火で火山灰に埋まった須走村と伊奈神社(静岡県駿東郡小山町)

1707年の富士山の宝永大噴火では、江戸にも5cmの降灰があったぐらいですから、麓では大変なことになりました。この伊奈神社がある当時の須走村(現・静岡県駿東郡小山町)には、多いところでは3mを超える火山灰が降り積もりました。

背後の富士山との距離感がわかります。数メートル火山灰が降り積もると、現代の富士山噴火でも同じことがおきますが、まずは、田畑の耕作が全くできなくなります。

そして、河川に火山灰が堆積しますので河床が上がります。河床が上がるということは、頻繁に洪水が発生してしまいます。

しかも、火山灰が堆積していますから、洪水のたびに土石流がおき、下流域は大変な被害を受けます。

これが、江戸時代にもおきました。

耕作ができず人々は飢え苦しみ、人々は離散し、村が亡くなる、亡所寸前までいきました。

そんなときにこの村、この地域を救ったのが、当時の関東郡代であった伊奈忠順(ただのぶ)でした。当時の災害対策を指揮し、大量の火山灰がたまった酒匂川から火山灰を取り除いたり(砂除け)、堤防の修復工事を成功させただけでなく、被災民に寄り添い、この地に伝わる伝承では、幕府の命に背き、飢える民のために幕府の蔵米1万3000俵を分け与えたとまでいわれています。

その真偽はともかく、須走村の民から一心に尊敬を集めた伊那忠順は、死後、神格化され、神社に祀られるほどでした。それがこの伊奈神社。現在まで大切に守られています。

石柱には、「御厨(みくりや・当時の須走村を含む地域の呼称)の父」と刻まれていますね。

われわれは、まず、近い将来必ず発生する富士山噴火の際の火山灰の脅威をここから学ばなければなりません。

現代では、洪水、土石流、耕作不能だけでなく、鎌田浩毅先生(京都大教授)が繰り返し説かれているように、コンピューターに入り込んだ火山灰が大規模に都市の通信機能をダウンさせる可能性が高いといわれています。

降灰で車が動けないのはもちろん、公共交通機関も停止し、風下では航空機も飛べません。日本の物流システムも大打撃を受け、損害は計り知れないものがあります。

宝永大噴火は、宝永の南海トラフ地震(M8.6)がおきた49日後に発生しました。

巨大地震がおこると、地殻に影響を与え、火山の噴火を誘発することはわかっています。

きたるべきM9クラスの南海トラフ巨大地震でも、かなりの確率で、富士山の噴火を誘発する可能性があります(写真左側の富士山の盛り上がりが宝永大噴火でできた宝永火口です)。

富士山は、わずか年齢10万年というとても若い、活発な青年期の火山です。現在の富士山しかみていないわれわれは、思わず、不変の存在と思いがちですが、たまたま刹那的にこの姿をとどめているだけで、噴火のたびに富士山はその形を大きく変化させています。

この美しい富士山を大切にするとともに、富士山の噴火がいつおこってもおかしくないということを改めて意識しておきたいと思います。

令和2年12月

弁護士・防災士 永野 海

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