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鷹丸尾溶岩の大露頭(山中湖) 訪問記

 

山中湖の西岸には、富士山から流れてきた溶岩の東端の大露頭があります。

鷹丸尾(たかまるび)溶岩といって、800年または937年の富士山の噴火時に流れてきた溶岩です。

 

このように富士山から流れてきた大量の溶岩は、西から東に流れ、東端は、山中湖の湖畔の手前でとまりました。

 

その溶岩の流れが止まった東端が大きく露頭しているのです。

 

先端が突き出た様は、なかなかの迫力です。

 

現在、富士山の東側には、山中湖があり、その北側には有名な忍野八海があります。

この800年または937年の富士山の大噴火前には、山中湖は現在の忍野八海までを含んだとても大きな湖だったという考え方があります。宇津湖と呼ばれています。

 

 

この宇津湖(もっともっと遡ればこの辺りは「海」でしたが・・・)と鷹丸尾溶岩流との関係には、諸説あるようです。

一説では、800年の富士山の噴火による溶岩流出の際に、この宇津湖が分断され、忍野湖と山中湖に分かれ、その後忍野湖は干上がり、水源である地下からの富士山の湧き水だけ残り、いまの忍野八海となったと説明されています。

 

 

こんなイメージです。

その他の説(通説?)では、この鷹丸尾溶岩の流出の時代には、すでに宇津湖はなくなっていて(あるいはそもそも宇津湖などは存在せず)、旧桂川の流れだけがあったところ、937年の噴火の際の溶岩流出により旧桂川に溶岩が流れ込み、川をせき止めたことにより、山中湖が誕生したともされています。

 

(これは美しい現在の忍野八海の湧水。ラムネ色に透き通っています。)

いずれの説が正しいにせよ、富士五湖に行かれた際には、現在の湖と富士山の姿だけを楽しむのではなく、富士山ができる前の状態(全体が海でした)、いまの富士山の前の古富士山の時代の状態、そして現在の姿になった経緯まで知ると、想像力が刺激され豊かな旅になると思います。

 

 

(山中湖と富士山)

富士山は、(わずか)10万年ほどの期間に、驚くべき量の溶岩を噴出し、現在の壮麗な姿になりました。まさに「不二」というべき日本にはほかに例がない青年期の活火山です。

陸上にありながらほぼずっと海洋に多く見られる岩石である玄武岩だけを大量に噴出している(桜島などは安山岩、雲仙や有珠山はデイサイト)不思議もいまだに解明されていないようです(プレートの動きからいつか説明されるように思います)。

 

(富士山と、山中湖の奥は南アルプス)

各種の研究の結果から、富士山の噴火はごく近いと言わざるを得ない状況にあります。

日々社会のなかで生活している、とつい現在の富士山や、山中湖の形を最初からのもののように錯覚してしまいますが、富士山も中の構造は3階ないし4階建になっていて、目の前の富士山は最後の大きな噴火活動による一番表面の姿にすぎません。

富士山を仮にX線写真でみることができたら、なかなか面白いことになると思います。

この写真からわかる富士山右側の膨らみも、富士山の中にある昔の富士山の形が現れているものと言われます。(ちなみに雲でみえませんが左側の膨らみも同じです)

 

 

(忍野八海からの富士山。かつての忍野湖はいまはありません)

そうした長い時間軸で富士山の姿をとらえ、噴火による災害は歴史や科学の教科書のなかだけの話ではないことを、改めて意識してもらえればと思います。

次回は、富士山の北側、河口湖、西湖、精進湖の変遷もみていきたいと思います。

 

平成29年12月訪問

静岡市清水区 弁護士 永野海

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