中央構造線・安康露頭 訪問記
断層露頭シリーズ,今回は,中央構造線です。
まずは,中央構造線について説明しておきます。
(Wikipediaから引用)
前にも引用したこの画像の,赤い線が中央構造線です。
左の端,右の端がどこを通っているかは若干諸説ありますが,だいたいこんな感じです。
中央構造線はすごいです,Google Earthの衛星画像でも,その線がくっきりみえます。
わかりますか?
これが中央構造線。
前回もやりましたが,100万年前の伊豆半島衝突の衝撃(フィリピン海プレートの沈み込み)で,静岡県西部からはぐいっと上に上がって諏訪湖に達しています。
もう1度,みてみましょう。
線がわかりますよね。
中央構造線は,糸魚川静岡構造線と違って,プレートとプレートの境界ではありません。
その上と下とで地質が異なる地質の境界です。
また,日本最大の断層ラインでもあります。
(中央構造線博物館HPより引用)
このように,中央構造線の下側を外帯,上側を内帯と呼びます。
地質でいうと,外帯は,三波川(さんばがわ)変成帯,内帯は,領家(りょうけ)変成帯です。
中央構造線ができた時代は,ものすご~く古いです。
(日本経済新聞2016.4.22記事より引用)
この図からわかるように,1億3000万年前(古い!)には,日本列島は,アジア大陸の一部でした。
昔学校で習った人も多い,ウェゲナーの大陸移動説的な話です。
この時代に,アジア大陸の赤い線の部分が大きく横ずれしてできた大断層が,中央構造線の元です。
(産業技術総合研究所HPから引用)
その後,日本列島はアジア大陸から離れ,日本海ができ,西南日本と東北日本にわかれ,またくっついたりして,いまの日本列島の形になっていきます。
(その境目が糸魚川静岡構造線であることは以前説明しましたね)
ということで,前置きが長くなりましたが,中央構造線!
この全長なんと1000km以上にも及ぶ大断層,大構造線の境界部分,断層の露頭部分を見に行ってきました。
場所は,このあたり。
正直なところ,気軽にいけるという場所ではないかも知れません。
中央構造線の断層露頭がみえる場所は日本でいくつかありますが,この安康露頭は,かなりわかりやすく理想的に観察できる露頭になります。
次回,ご紹介予定の大鹿村の中央構造線博物館から,152号線を南下して数十分ほどの距離です。
ただし,道はかなり細く,険しいので,若干は覚悟が必要です。
写真の谷は,まさに中央構造線が貫く谷です。
中央構造線の断層部分は,破砕帯(はさいたい)となるため,とても脆いので,どんどん川によって浸食され,谷になっていくんですね。
だから,衛星画像でも中央構造線はすぐにわかるわけです。
152号線がなかなか険しいので,諦めそうになるころに,安康(あんこう)露頭の看板発見!
看板はとてもきれいです。
車を降りて,川に向かって下りていきます。
無事,到着!
くわしい説明がなされています。
とても親切です。
これが中央構造線の断層露頭部分!
構造線の左のAがさきほどの内帯で,内陸の火山帯の地下でマグマが固まってできた花崗岩が中心,
一方,Bは外帯で,海の底,もっと具体的にいうと海溝の地下深くで高圧で鉱物が変質してできた変成岩(へんせいがん)が中心です。
AとBで色が全然違いますよね。
あの衛星画像をイメージしながら,この露頭部分がどれほどダイナミックな断層の切れ目部分か,想像してみてください。
なお,AもBもどちらも白亜紀ころにできた岩なので,1億年ほど前の話です。
下流側を撮影。
花崗岩は大陸でもっとも一般的な岩石の1つです。採れる場所で,御影石と呼ばれたりもしますね。
変成岩は,様々な状況下でできますが,緑色片岩などは,とてもきれいで,庭石などでも昔から重宝されています。
岩石については,次回,写真でお伝えします。
今回はここまで。
平成29年11月訪問
静岡市清水区 弁護士 永野海