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雲仙普賢岳の大火砕流から30年 雲仙・島原再訪

本日、令和3年6月3日で、雲仙普賢岳の大火砕流により43名もの方が犠牲になってから30年が経ちました。

雲仙・島原地方は、過去の災害を学ぶ日本でもっとも優れた教材の1つであり、日本を代表するジオサイトでもあります。

この災害痕跡地としての雲仙・島原については、拙書「みんなの津波避難22のルール 3つのSで生き残れ」(合同出版)でもご紹介しましたが、大規模被災から30年という1つの節目に、息子と再訪しました。

しっかりと叙述する時間がとれず申し訳ありませんが、写真だけでもご覧いただければと思います。

静岡からFDAで出発。

途中、機内から中央構造線が作る谷地形を眺めるのは、恒例行事です。

前回訪問時と違い、島原半島は快晴。

この谷筋を高温、高速の火砕流が何度も何度も駆け降りました。

噴火活動や火砕流が作り出す堆積物による地層がよくわかる露頭です。

火山の斜面をかけおりる火砕流の温度は1000℃に迫ります。速度も時速100kmほどで、気づいてから避難することは困難です。

事前の避難が命を守る唯一の方法と考える必要があります。

当時の噴石、流れ下った溶岩ドームの一部の岩石がいまも残ります。

当時の火砕流の堆積物が、いまもこの水無川には厚く堆積しています。

こうした河床を上げる火砕流堆積物は、その後の雨によって土石流として流れ出す危険があります。

そのため、大規模な砂防えん堤などの施設が、この水無川には作られています。

当時、火砕流が襲った旧大野木場小学校被災校舎。

背後に雲仙普賢岳噴火によって生まれた平成新山(巨大な溶岩ドームです)がみえますが、生徒らは、幸い、事前に避難して無事でした。

被災の衝撃を窓枠が語っています。

南島原市にある土石流被災家屋保存公園も必ず訪れてほしいです。

仁田団地公園にある雲仙普賢岳噴火の犠牲者追悼の碑です。

背後には、江戸時代の雲仙岳の噴火活動により山体崩壊をおこした眉山もみえます。

島原市内からの眉山。

雲仙岳の火山性地震により崩壊したとみられていますが、崩壊した大量の土砂が有明海に流れ込み、10mを超える津波をもたらしました。

津波は有明海をわたり対岸の肥後の国に到達。東日本大震災と同規模の遡上高を現在の熊本県の村々に及ぼし、島原地方とあわせて1万5000人もの方が犠牲になりました。

山が崩れ始めてから崩れ終わるまで、わずか3分間ほどであったという研究報告もあります。

やはり事前避難以外に命を守る術はありません。

眉山崩壊により作られた秩父が浦公園の景観です。

崩れた山は島原市内に堆積し、流れ山地形となって残っています。

磐梯山の山体崩壊により生み出された美しい麓の五色沼と同様、火山の恵みの側面でもあります。

さきほどの慰霊碑のある高台からは、崩壊した眉山の一部が流れ山となって島などの地形を残していることがよくわかります。

このあたりからみると、雲仙岳(左)と眉山(右)の位置関係がよくわかります。

眉山自体も、かつて4000年ほど前に火山活動により生まれた溶岩ドームによる山です。

島原半島全体が、フィリピン海プレートの沈み込みがもたらす一連の火山活動により生まれた半島なのです。

こちらも火山の恵み。

眉山の山体崩壊は、巨大な地割れを島原市内に生みだし、地下から大量の湧水をもたらしました。

いまでもこの白土湖(しらちこ)には毎日4万トンもの湧水があります。

島原市といえば、やはり水。

この名物「かんざらし」も、火山と水がもたらした食文化といえるかもしれません。

雲仙普賢岳の噴火活動で生じた平成新山は溶岩ドームの塊です。

侵食が進み、いまでも溶岩ドームの崩落の危険と向き合う状況が続いています。

当時、普賢岳の火砕流は、この奥の谷をも超えて集落を飲み込みました。

1990年から6年も続いた普賢岳の噴火活動ですが、この平成新山の噴気ガスの温度は当初800℃にも達していました。

その後徐々に下がっていきましたが、2009年の段階でもまだ165℃もある地点があったのです。

噴火災害は過去の災害というだけではありません。

噴火後も土石流や溶岩ドーム崩落の危険は続いてゆきますし、それに、どんな火山も定期的に噴火を繰り返すのです。

火山の寿命は、100万年といわれます。

30年ごとに噴火するような火山は意識も継続しやすいですが、この雲仙岳のように100年200年という周期で活動をする火山で、災害の教訓を引き継ぐことは簡単ではありません。

がまだすドームからみた美しい平成新山と眉山。

水無川に設置された巨大砂防えん堤と奥に平成新山。

がまだすドーム(雲仙岳災害記念館)はリニューアルされ、子どもが楽しみながら学べる工夫がさらに増えました。

記念館のなかには、ありがたいことに拙書を展示していただいているスペースがありました。ありがとうございます。

このがまだすドームの展望デッキからみると、山体崩壊した眉山と、それが流れ山となって残っている地形の関係がよくわかります。

最後に雲仙地獄も。

ものすごい硫黄の匂いが充満しています。

火山の恵みですね。

雲仙岳のマグマだまりと温泉の関係がよくわかります。

コロナが落ち着いたら、ぜひお一人でも、家族とでも、友達とでも、仲間とでも、親子でも、この自然災害や地球の学びの宝庫である島原半島を訪れてみてください。

島原半島はそうめんもおいしいですよ。

令和3年5月  弁護士・防災士 永野 海

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