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自然災害と共にある日本人が習得すべき防災の作法

今年の静岡県弁護士会の会報「不二」に,

「自然災害と共にある日本人が習得すべき防災の作法」

というタイトルで寄稿をさせてもらいました。

 

会報委員会から,日弁連での徳島の事前復興まちづくりの視察記と,海溝型地震や断層,地層,岩石なんかの話題を絡めて書いてみませんか,という奇特な提案をもらったためです。

 

好きなだけ,好きなように書いた結果,なんと1万5000字に達してしましました。

誰にも読まれることはないかも知れませんが,わたしなりに(極めて一部分だけですが)この地球について学び,少しの知識を得た上で,どのように自然災害と向き合い,共生していけばよいのか現時点で頭にあることをまとめたものです。

この中ではプレートテクトニクス理論を前提とした説明が多数ありますが,地球科学は日々進化,変化しており,ここでご紹介した通説らしきものが明日には見直されているかもしれないことはお断りしておきます。

 

自然災害と共にある日本人が習得すべき防災の作法

-海溝型地震を前に事前復興まちづくりを進める徳島県美波町の視察を終えて-

 

日弁連災害復興支援委員会副委員長/県災害対策委員会委員 永野海

 

1 南海トラフ地震の被害予測により人口流出が続く太平洋沿岸地域

1)徳島県美波町由岐湾内地区の現状

静岡で暮らしていると毎日のように,南海トラフ地震という言葉を耳にします。南海トラフ地震とは,東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震と同様のいわゆる海溝型地震のことですが,皆さんは,この海溝型地震というものをどの程度ご存知でしょうか。

今年の2月,日弁連災害復興支援委員会が毎年行っている災害全国協議会の視察で徳島県美波町(由岐湾内地区)を訪問しました。この地区で取り組まれている南海トラフ地震に備えた「事前復興まちづくり」を学ぶためです。

事前復興,という言葉にはあまり聞き馴染みがないかも知れません。徳島県美波町は,太平洋に面した人口7000人ほどの町です。この美波町にある由岐湾に面した由岐湾内地区は,静かな,とても美しい昔ながらの港町ですが,来るべき南海トラフ地震では,住民の居住区域のほぼ全域が最大12mの津波で浸水すると予測され,大変厳しい現実に直面しています。

地方の田舎町はどこも等しく少子高齢化と人口流出という社会問題を抱えていますが,この美波町も例外ではありません。昭和55年に1万2000人いた人口は平成27年には7000人まで減少。高齢化率に至っては17.8%から45.2%まで上昇し,住民の方の話によれば,かつて全校生徒450名ほどであった小学校が現在は29名にまで減ってしまったそうです。

(2)少子高齢化・過疎化と津波防災の二重の課題

この地方の田舎町の深刻な社会問題に,南海トラフ地震の被害予測が一層拍車をかけています。東日本大震災以降,南海トラフ地震と向き合わなければならない太平洋沿岸地域の意識は劇的に変わりました。そのおかげで,東海地方,近畿地方,四国地方の海沿いには津波避難タワーなどの津波防災施設が数多く設置されました。しかし他方で,生まれ育った海沿いの故郷が抱える津波リスクが改めて認識され,「この町では将来家を建てられない」と考える若者夫婦の数も劇的に増え,震災前過疎の問題が生じています。

こうして,海沿いの自治体では,少子高齢化や過疎化という構造的な社会問題への対応だけでなく,南海トラフ地震への対策を同時に実施する難しい舵取りが迫られています。たとえば,34mという南海トラフ地震でも最大級の津波が想定されている高知県黒潮町では,町の全職員を防災担当との兼務にし,町の全ての地区に防災担当職員を割り当て,町民一人一人の津波避難カルテまで作成するという全国に例をみない徹底した津波防災がなされています。こうした取組例と同様,この徳島県美波町由岐湾内地区でも,住民と地元自治体職員だけでなく,徳島大学地域創生センター学術研究員の井若和久先生や地元徳島弁護士会の堀井秀知弁護士などの専門家も一緒になって,「事前復興まちづくり」と名付けた,津波リスクと向き合うまちづくりの取組みが実施されているのです。

 

2 海溝型地震と共存しようとする事前復興まちづくりの課題

(1)由岐湾内地区の事前復興まちづくり

事前復興とは,災害後に復興の取組みを開始するのではなく,発災前から将来の災害を想定し,発災後の町の速やかな復旧復興につなげるための事前の災害対策です。前述の井若先生によると,事前復興の取組みにより復興までの期間を1年短縮できるのではないかとのことです。しかし,事前復興という防災的視点だけでは若い世代の人口流出を止めることはできません。若い世代が希望を持って故郷に残り生活できるようにする“まちづくり”もセットで考える必要があるのです。それが,事前復興まちづくりのコンセプトになります。

由岐湾内地区では,そのため,津波避難施設などのハード面の整備を行う一方で,住民主導で,過去の災害を学びつつ,白紙の状態から,“目指すべきまち”とは一体どのようなまちなのかを考える地道な取組みをはじめました。町の白地図を囲んでの議論,住民主導で行う住民アンケートやヒアリングなど様々な方法で,住民にとっての故郷の財産,まちの財産が何なのかを丁寧に検討していきました。その結果,自然環境,人間関係,地域愛,暮らし,子育て環境,心身の健康という6つの項目が抽出され,こうしたまちの大切な財産を守るためのまちづくりが議論されているのです。

(2)由岐湾内地区におけるまちづくりの難しさ

しかし,由岐湾内地区のまちづくりは「事前復興」と簡単にいえるほど容易なものではありません。町を少し歩けば気づくように,リアス式海岸の由岐湾の奥は山に囲まれ居住スペースは多くありません。湾に面した限られた土地にほとんどの住民が密集して生活をしています。この湾に押し寄せる津波を想定した際,安心して生活できる移転先候補地を探すことは困難を極めます。東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県女川町を訪問した時にも女川湾の地形的厳しさを痛感しましたが,あるいはその比ですらないかも知れません。

そのため,由岐湾内地区では,津波リスクのある由岐湾に面した土地も,津波避難施設を整備した上で居住地域として残しつつ,若者には安全な高台に住居を提供するという2面作戦でのまちづくりを検討します。宅地開発が現実的に可能な候補地を選定した上で,まちづくりコンペを開催しました。しかし,ここに次の課題がのしかかります。津波から安全な高台は,今度は逆に山間部の急傾斜地にあり,居住建物を建てようとすると新たな建築規制の壁が立ちはだかるのです。また,山の一部は国定公園にも指定されており土砂災害の対策工事のための許可を得ることにも壁があります。さらに,費用の面でも,被災後には様々な公費による補助事業の活用が考えられますが,被災前の段階で活用できる補助制度に乏しいという災害法制の現実も関係者の頭を悩ませます。東日本大震災の高台移転で活用されている防災集団移転促進事業などは,事前復興での活用の途も閉ざしてはいませんが,高台移転と沿岸部の災害危険区域の指定とが制度上一体となっているため,前述のように,由岐湾に面した津波浸水予想区域も居住地として残さざるを得ない由岐湾内地区の計画では,活用が難しい制度になってしまいます。

既に建築コンペの結果,15戸からなる第1弾の高台の開発イメージは住民に共有されているものの,これを現実の動きにするまでにはまだ少し時間がかかるかも知れません。

こうした問題は実は静岡も無縁ではありません。美波町と同様に南海トラフ地震での津波被害が予想される沼津市は,当初,約120世帯が暮らす内浦重須(おもす)地区で,事前復興まちづくりとしての高台集団移転を計画していました。多くの住民も賛同しましたが,補助金の対象外となる住宅建設にかかる高額の費用負担が住民に重く圧し掛かります。それでも地区は諦めず100回を超える話合いを重ね,現状,一部住民が高台に転居する流れになっています。

この点,国は,平成26年に,南海トラフ地震を想定し,被害予想地域の事前防災の実現のため,関東から九州にかけての139市町村を津波避難対策特別強化地域に指定し,防災集団移転促進事業の補助対象を拡大する特例措置をとりました。しかし,この制度の適用を申請した自治体は現時点では1つもありません。全国的にも事前復興の動きを形にするためにはまだまだ時間がかかりそうです。何とか南海トラフ地震が発生する前に実現を,と願うばかりです。

(3) 事前復興まちづくりをする上で期待される弁護士の役割

私は今回由岐湾内地区の新しいまちづくりの取組みを視察する中で,前述の井若先生が最後にお話された一言が最も印象に残りました。それは,住民主体のまちづくりを1から行う中で,弁護士などの士業の先生方は,そこにいてくれるだけで安心して議論ができる,まちづくりが進められる存在だという言葉でした。井若先生はずっと士業と関わられる中で,士業の性格もよくご存じなのでしょう。続けて,「弁護士の先生方などは,具体的に何か問題を解決できないと不安になられたり,役に立てないと思ってしまわれることがあるかも知れませんが,実際にはそんなことは全くありません。住民やわれわれ研究者が求めているのは,士業の先生方がそこにいて下さること自体なのです。」とお話されていました。

住民や他の専門家が弁護士などの士業に対して,まちづくりをする上でこうした視点を持っていることはぜひ多くの弁護士に知ってもらいたいと感じました。

私も東日本大震災が発生して最初に東北の被災地で支援を開始したときは,正直,行くのが億劫になるぐらい不安でした。その不安の最大の原因は,自分などが現地に行って何か問題を解決できるだろうか,何も役に立たないと被災者から思われるのではないだろうか,という不安だったのではないかと,今では思います。

しかし,被災者支援において士業に求められるのは,問題解決だけではありません。被災者に最後まで寄り添って,一緒に問題の難しさに唸り,一緒に何ができるか考えること,実はこれが最も士業が被災地で貢献できる支援のあり方なのではないかと思います。

 

3 東日本大震災では何が起こったのか

(1) 海溝型地震に対する知識の不足

静岡は,南海トラフ地震という言葉を新聞記事でみかけない日がないほど,ある意味では海溝型地震に慣れ親しんだ土地柄だと思います。しかし,皆さんは,果たして海溝型地震についてどこまで正しい知識をお持ちでしょうか。私は,ここ数年,災害関連法制や被災者支援だけでなく,津波防災の講演なども行うようになりましたが,そうした機会での市民の皆さんとの触れ合いの中で,静岡県民でさえ,海溝型地震について,あるいは南海トラフ地震と東日本大震災の違いなどについて正しい理解ができている方が思いのほか少ないことに驚きます。また,東日本大震災の被災地を回りその被害実態や被害の理由を知るにつけ,海溝型地震について正しい知識がないがためになすべき避難がなされず多数の犠牲が生じてしまっていた現実も目の当たりにしてきました。

(2) 名取市閖上地区「津波は牡鹿半島が防いでくれる」

たとえば,宮城県名取市の太平洋岸の港町である閖上(ゆりあげ)地区。皆さんは東日本大震災発生当初,NHKのテレビ放送で,名取川を遡上する津波映像をご覧になられたかと思います。あの映像の場所が閖上地区です。言葉を選ばずに言えば,津波により地区全体がほとんど跡形もなくなってしまいました。地区の死者・行方不明者は1000人に迫ります。避難しなかった,あるいは避難が遅れた住民の多くが犠牲になったことも後に判明しました。

この閖上地区の住民の方からは次のような話が聞かれます。閖上地区では,昭和三陸津波での津波到達点を住民が強く意識してしまい,前回津波が来なかった場所に住んでいる人間の多くが犠牲になったこと。もう1つは,住民の間には閖上は牡鹿半島が津波を防いでくれるから大丈夫との過去の津波経験に伴う楽観が支配していたことです。明治三陸津波,昭和三陸津波,チリ地震津波では,牡鹿半島の南部の被害がたまたま少なかったからです。避難して津波から助かった住民の多くも,避難の理由は津波からの避難ではなく余震が続く中で集団の中にいたいという心理による避難だったとの話もあります。

(3) 生徒の大半が津波で犠牲になった石巻市大川小学校

実はこうした住民心理による避難の遅れが津波被害につながった例は閖上地区に限りません。学校による適切な避難誘導がなされず校庭に50分も待機させられ続け全校生徒のほとんどが犠牲になってしまった石巻市大川小学校も,沿岸部から4km離れた大川小学校までは直近の地震の際に津波が到達しなかったことと無縁ではありません。直近では被害がなかったという経験が,大川小学校の事前の津波防災をおざなりにさせ,震災当日の判断の誤りや逃げ遅れにつながりました。また,岩手県宮古市の田老地区では,1978年に完成した昭和三陸津波を想定した高さ10mのスーパー防潮堤を信じて避難しなかった住民が犠牲になりました。

(4) ハザードマップの“エリア外”の住民がかえって犠牲になる実態

こうした事例は,徹底した津波防災教育の結果,震災当日登校した全ての小中学生3000人が津波から生還し,後に“釜石の奇跡”と称された釜石市でさえ例外ではありません。釜石でも2009年に総工費1200億円をかけた湾口防波堤が完成したことで,住民の避難意識が著しく低下しました。しかし,残念ながら,東北地方太平洋沖地震による津波は,田老のスーパー防潮堤も釜石の湾口防波堤も軽々と破壊し,ハードの防災設備に自分の命を委ねてしまった住民は命を落としてしまったのです。

“釜石の奇跡”に導く津波防災教育を粘り強く行った群馬大学(当時)の片田敏孝教授(「人が死なない防災」集英社新書は津波防災の必読書です)が震災後に分析した結果,釜石市の津波犠牲者の大半は,同市の津波ハザードマップの浸水想定区域の“外側”で亡くなっていたことが分かりました。ハザードマップで浸水予想区域に自宅や職場がある住民は危機意識を持ち避難して無事だった一方で,ハザードマップをみて自宅が安全だと誤信した住民が避難を行わず犠牲になっているという構図が定量的にも明らかにされたのでした。

(5) 自分の命,家族の命を行政頼みにしない防災の重要性

ハザードマップとは一体何のためにあるのか。実は,全校生徒,教師のほとんどが津波で死亡した前述の大川小学校でも,この小学校は津波浸水“区域外”とされていただけでなく,何と津波発生時の指定避難場所になっていました。また,前述の名取市閖上地区でも,実際には津波で浸水した公民館,閖上小学校,中学校は全てハザードマップで津波浸水区域外とされた上,津波避難場所に指定されていました。皮肉なことに,津波避難場所の周囲で多数の津波犠牲者を出していたのです。

同じ海溝型地震に直面する静岡で生きるわれわれは,東日本大震災と同じ過ちを二度と繰り返さないよう,ハザードマップの軽信を絶対にしないことがまずは重要です(ハザードマップは一定の条件下での被害想定に過ぎず全ての災害に妥当するものではありません。)。また,自宅や職場などがハザードマップの危険区域外にあるため安全だと誤解した住民,あるいは巨額の資金を投じた防波堤,防潮堤で守られていると誤信した住民ほど大災害時には犠牲になるものであることを常に頭に入れなければなりません。自分や家族など大切な人の命は,行政や他人に委ねるのではなく,常に自分自身で守らなければならないということです。そして,“釜石の奇跡”は,実は気が遠くなるほどの地道な教育と訓練の賜物であり,一朝一夕に住民の命が守られるほど自然災害は甘くないことも認識する必要があります。

その上で,皆さんにとって大切な家族の命を守るためには,大前提として,海溝型地震とは何かを正しく知っておく必要もあります。海溝型地震について正しい知識を得た上で,最低限備えなければならない危険な場所だけでも,実際に家族で避難想定の訓練をしてみて下さい。ここで地震が起きたらどこに逃げるのか,どこなら逃げられるのか。何分で逃げられるのか。最初の一歩を踏み出せば訓練は実にたくさんのことを教えてくれるはずです。

 

4 海溝型地震というものを正しく知る

(1) 海溝型地震と津波発生の仕組み

さて,先ほど,閖上地区の住民は,「牡鹿半島が津波を防いでくれた」との過去1度あった出来事を常に妥当する真実であると誤信してしまい津波の犠牲になったと書きました。この閖上の一部の住民のなかにあった考え方がなぜ非科学的であるのか,皆さんは正しく説明できるでしょうか。可能であればお手元のスマートフォンで宮城県名取市の地図を開いてみて下さい。その際,海底地形がわかるGoogleの衛星画像やGoogleEarthで開いて下さい。東日本大震災を引き起こした海溝型地震(プレート境界型地震)が発生した日本海溝が名取市の東側,はるか太平洋の沖に見えると思います。ここは,陸のプレートである北米プレート(西側)の下に,海洋のプレートである太平洋プレート(東側)が沈み込んでいる場所です。東日本大震災のあと,テレビでも何度も何度もプレートの潜り込みと,その潜り込みによる陸のプレートの引っ張り込みが耐え切れなくなり反発しプレート境界の断層を破壊し津波を引き起こすフリップをご覧になったかと思います。でも,皆さんはそのプレート境界部分の図には描かれていない場所について詳しく考えたことがあるでしょうか。たとえば太平洋プレートはどこからやってきているのか。あるいは,潜り込んだプレートはその後どこにいくのかなどについてです。

地球科学の専門家ではなく単なる町の法律家に過ぎない私がプレートテクトニクス理論についてここで詳述することは自重しますが,私は全国の被災地の姿をみて,またご遺族の姿をみて,あるいは現在も生活再建が全くできない被災者の姿をみて,どうしてこんな災害が起こるのだろうと強く思うようになりました。それからというもの本を読んでは少しずつ学び,災害を引き起こす地球科学と向き合うようになりました。いまでは岩石までが学びの対象になり,時間をみつけては全国の災害痕跡地や断層露頭などを見学にいくようになりました。しかし,こうした活動も全く無意味なものではなく,市民の方に防災の話をする上で,地に足のついた話(岩石や地層の話だからじゃないですが)のためには大切な背景知識となります。また,なぜ地震が起こるのか,なぜ噴火が起こるのか,そのメカニズムを正しく知っていなければ,本当の意味で自分の頭で考えて災害に備えることはできません

(2) 海洋プレートの誕生と移動,そして潜り込み

太平洋プレートは,ハワイよりもさらに南東にある南米の西海岸の沖合にある「太平洋中央海嶺」という場所で日々誕生しているということが近年明らかになりました。地球内部のマントルから大量のマグマがプレートの裂け目を通って海中にでてくるのです(大西洋にも同様の中央海嶺が存在します)。海中にでてきたマグマは海水により冷やされ玄武岩質の溶岩となり生まれたばかりの太平洋プレート(海洋地殻)になります。ここで日々生まれる太平洋プレートは,年間8cm程度ずつ北西方向に移動します(なぜ移動するのかはプレートテクトニクスの各種書籍をお読みください)。最終的に,太平洋プレートは日本海溝まで進んだところで陸のプレートである北米プレートとぶつかり,最終的には北米プレートの下に潜り込む形となります。

海洋の太平洋プレートが,陸の北米プレートの下に潜り込むのは,陸のプレートより海洋のプレートの方が単純に重いからです。陸のプレートを主に構成する花崗岩よりも,海のプレートを構成する玄武岩の方がそもそも密度が高い上に,太平洋プレートが日々誕生して日本海溝に到達するまで1億年以上かかりますからその間にプレートが冷やされてさらに重くなります。また,海洋プレートたる玄武岩は長期間海洋を移動する中で海水を内部に含むことでさらに重くなります。こうして重い太平洋プレートは陸のプレートの下に潜り込み,一定の周期で陸のプレートを反発させ(歪の解消)海溝型地震を発生させるのです。

ちなみに,よく海溝型地震と直下型地震が比較されますがどちらもプレートの圧力によって生じるという意味では同じです。海溝型地震はプレート境界の断層自体が破壊されることにより生じますが,直下型の地震はプレートにより押される圧力に耐えられなくなった陸上の弱い部分(これが断層です)が動くことによって生じるものです。

(3) 南海トラフについて

さて,今度は,Googleの衛星画像をもう少しひいてみてください。日本列島全体が確認できるほどに。日本列島の周りには気持ちが悪いほど海洋の中に溝があると思います。名称としては,北から順に千島海溝,日本海溝,伊豆半島の下には伊豆小笠原海溝,九州から台湾まで続くのは琉球海溝。いずれも「海溝」が最初からあったわけではなく,プレートの沈み込み運動によって事後的に海溝が生まれているのです。では,静岡の下にある海底地形図でわかる溝は何でしょうか。そう,これが南海トラフです。トラフというのは深さが6000mに達しない海底の溝のことで,この深さを超えると海溝と呼ばれます。南海トラフに沈み込んでいるのは,1億歳を超える仙人のような太平洋プレートに比べるとまだまだ若僧のフィリピン海プレートなので,そこまで海洋側プレートが重くなく,その潜り込み角度が浅いため,その結果プレートが作り出す溝は日本海溝や伊豆小笠原海溝ほどは深くありません。しかし,それでも本来は海溝になり得るほどには深い溝です。ただ,静岡でいえば大井川や天竜川から流れる泥や砂が,その河口周囲にとどまらず最終的には南海トラフにまで達し堆積しています。Googleの地図をみると細かい線が何本も天竜川辺りから南海トラフまで続いていますね。その一部は海底谷といっていわば河川の続きです。川の流れの終着点は河口ではなくここでは南海トラフにまで及んでいるわけです。こうして河川から運ばれた泥や砂が南海トラフには厚いところでは2000mも堆積していますので結果的にその分だけ溝は浅くなりトラフと呼ばれています(南海トラフとしては不本意かも知れません)。ここ南海トラフでは,南側にあるフィリピン海プレート(海のプレート)が西南日本を載せる北側のユーラシアプレート(陸のプレート)の下に毎日せっせと沈み込んでいます(沈み込んだプレートは最終的には一時的にプレートの墓場で一休みしたあと,ゆっくりと生まれた場所である地球のマントルに帰っていきます)。

さて,南海トラフに堆積した泥や砂の層は長い時間をかけて岩石になります。地層の誕生です。こうしてできた砂岩(砂が固まってできた岩石)と泥岩(より粒子の細かい泥が固まってできた岩石)は,その一部は海洋のフィリピン海プレートの潜り込みの際に一緒に地球内部に潜り込みますが,潜り込めないものはナイフで固いバターを削り取るように塊のまま削り取られ日本列島にくっつきます。これを付加体といいます。日本列島のほとんどは付加体の集合から成り立っていますので,巨大地震を引き起こすプレートやプレート境界たる海溝というものがなければ日本はそもそも存在できなかった島ともいえます。

(4) 東北地方太平洋沖地震と南海トラフ地震との違いを知る

さて,先ほどのGoogleの地図で,東北地方太平洋沖地震を引き起こす日本海溝と,南海トラフ地震を引き起こす南海トラフを比べてみてください。何か気づきませんか。そうです,南海トラフは日本海溝とは比べ物にならないほど陸地に近い場所に存在しているのです。

地震そして津波の原因となるプレート境界の断層破壊は海溝やトラフの中で起こります。そうするとどうなるか。東日本大震災のときよりも遥かに早く海溝型地震による巨大津波が陸地に押し寄せるということになります。東日本大震災の被災地での最大津波高の到達時間はだいたい30分から50分後です。このため,地震からしばらく行動を起こさなかった人たちも,さすがにこの到達時間より前に避難を開始した場合には助かっています。たとえば学校の校庭で点呼をする,などという悠長な地震対応をしていても助かったケースもでてくるわけです。他方で,南海トラフ地震ではそうはいきません。静岡県内の最大津波高の到達時刻の想定は,早いところでは地震から数分後遅いところでもせいぜい20分後です。校庭で点呼,あるいは地震後にみんなで議論,などということをしていれば残念ながら確実に逃げ遅れることになります。

特にGoogleの地図をみれば明らかなように,南海トラフは駿河湾の中に急カーブをして入り込んでいます。全くありがたくないことに,私の事務所(静岡市清水区)のすぐ近くまで接近してきているのです。この部分は駿河トラフとも呼ばれます。これはフィリピン海プレートの北上により丹沢や伊豆半島を日本列島に衝突させた流れで,南海トラフまで北側に捻じ曲げてしまった可能性があります(ちなみに日本を横断する大断層である中央構造線もフィリピン海プレートの北上により曲げられ諏訪湖付近で寸断された可能性があります。)。しかし,そのおかげで駿河湾という極めて陸から近い海洋にトラフが入り込み,由比では桜えびがとれ,また沼津には深海水族館が設置されることになるわけですが,それだけ津波到達時間は劇的に早くなってしまっているということをぜひ知って下さい。

(5) なぜ牡鹿半島は津波から守ってくれないのか

また,こうした海溝型地震の構造がわかると,閖上地区が牡鹿半島に守られるとの認識が非科学的であることもわかります。かつての地震の際に閖上地区に向かう津波が牡鹿半島に遮られたのは,ほかでもなくその時の海溝型地震(昭和三陸地震)では,牡鹿半島の北東方向にあるプレート境界の断層のみが破壊されたからという偶然に過ぎません。東北地方太平洋沖地震では岩手県沖から茨城県沖まで実に500kmものプレート境界の断層が破壊されました。そうなると閖上地区の真東の方向にあるプレート境界の断層も破壊されているのでその方向からも当然ながら津波が襲来します。この場合に牡鹿半島が何の役割も果たさないことはGoogleの地図をみれば一目瞭然ですね。

直近の被災経験を教訓にするのではなく科学的知見に基づきリスク判断をすることが不可欠です。三保半島が津波を防ぐとか,過去の東海地震では・・とか,ハザードマップでは・・などと根拠のない迷信や直近の災害事実だけを頼りに判断するのではなく1000年,1万年という単位で地球の営みを知り海溝型地震に備えましょう

(6) 自然災害と人間の営みは常に表裏。その中での防災の作法とは

前述の片田敏孝先生は,釜石の小中学生に津波教育をする際,決して津波は怖いもの,災害は怖いものという教え方はしませんでした。釜石の学校の先生にも,決してそういう教え方はしないでくださいと最初にお願いをしていました。

人間の脳というのはよくできたもので,生きていくために怖いものは一定の期間で忘れようとします。私などは昨日のこともほとんど覚えておらず,これが弁護士業務を行う上で致命的な障害になっていたりもします。災害は怖いものという北風型の教育ではせいぜい数年しか防災意識は続きません。このことはあれだけの東日本大震災が起こっても,毎年各地の防災訓練の参加者が減少していることが端的に裏付けています。また,津波は怖いものだという形の教え方だと子どもたちは海を嫌いになってしまいます。海に囲まれた故郷をも嫌いになってしまいます。

そうではなくて,津波避難というのは,この素晴らしい恵みを与えてくれる海の近くで暮らす人間の作法だという風に,片田先生は教えます。海のすばらしさ,故郷のすばらしさをしっかりと教えた上で,そのすばらしい故郷で生きる人間は,その生活の作法として,数十年に一度,100年に一度,地面が揺れたら一人でも高いところにすぐ逃げなければならないのだよと教えるのです。

しかしこれは何も海沿いで生活する人間にだけ必要な作法ではありません。先ほどGoogleの衛星地図で日本列島をみていただいたように,日本列島は世界で他に例がないほどプレートが密集した信じられないような場所にある国なのです。地球科学の進化,詳細な海底地形図の把握などにより,地震も津波も噴火災害もそれを引き起こすのは地球上に10数枚あるプレート運動だということがわかってきました。しかしそのプレート運動があるからこそ,いわば「United 付加体s  of Japan」ともいうべき日本列島は誕生し,また日本海の拡大によりアジア大陸から離れ,その後も地殻の動きを繰り返して日本列島は現在の姿になったのです。そして,日本は海と山の恵みを享受する国となり,プレートの潜り込みにより温泉が各地に沸き,素晴らしい景観が生まれ・・・。それだけではありません,繰り返す洪水により生まれた平地に人は暮らし,山体崩壊や土砂崩れにより生じた山間部の平坦地に人は暮らし,毎年の台風により水が供給され,そうして日本の人々は今日まで生きてこられたわけです。

災害を引き起こす自然現象と人間の営みはまさに表と裏の関係にあります。そうである以上,定期的に訪れる地震,津波,噴火災害に備えるのは,この国で生きるものの作法以外の何物でもありません。私は関西に長く住んでいましたから静岡のように海や山に囲まれ,温泉豊かな土地は憧れでした。あの美しい南アルプスもフィリピン海プレートの押し上げ圧力によって隆起した景観です。地学的には,「動くこと山の如し」が正解なのです。また,大井川には遥か昔の海底で気の遠くなるほどの時間をかけて作られた砂岩と泥岩の互層(タービダイトといいます)の褶曲地層が至るところに見られます。全てはプレート運動,海溝型地震へとつながっています。そして山はまた侵食作用により削られ河川をつたって南海トラフへと戻りまた地球の内部に戻ったり日本列島に付加体として再度くっついたりして永遠とも思える循環の流れが生じます。

こうして書くと若干宗教的な雰囲気すら漂いますがこれが自然の偽らざる姿と営みであって,こうした流れの中で,生きる作法として防災を考えてみていただきたい,その中で茶道のように,剣道のように,スポーツの準備運動のように防災の作法を遺憾なく身に着けていただき,皆さんやその大切な家族らとともにいつどのような災害がきても生き残っていただきたいというのが本稿の結論です。

(7) 地球の周期的な営みたる自然災害と災害記憶の承継について

地震も津波も噴火災害もすべて地球上のプレート運動を契機としていますので,忘れた頃にやってくるようにみえるものでも,地球規模でみると,きっちり周期的,定期的に繰り返し起こっています。30年に一度繰り返す災害なら災害の記憶は無理なく承継され次の発災に備えられます。しかしこれが100年に一度,1000年に一度となるとどうでしょうか。北海道の有珠山の噴火では十分な備えがなされ被害を最小限にとどめられています。これは有珠山が30年に一度の周期で噴火しているからです。しかし,雲仙普賢岳のような200年に一度周期の噴火だと多くの犠牲者がでてしまうわけです。地震・津波も同じです。30年に一度の周期で起こる宮城県沖地震には備えられても1000年に一度の規模の海溝型地震では災害記憶の承継が難しいのです。南海トラフ地震も同じです。東日本大震災が発生したこともあり100年に一度の次の南海トラフ地震への意識は現在はそれなりにありますが,次回はどうでしょうか。あるいは,南海トラフでも,100年に一度の断層破壊とは別に起こる1000年に一度の周期で起こると考えられる超南海トラフ地震ではどうでしょうか。東日本大震災のときの教訓が生かされないと同じ犠牲を繰り返してしまうでしょう。

繰り返しになりますが,肝要なのは,災害が起こる原因を正しく理解した上で,日本列島に住む者の作法をこの国に住むすべての人のDNAに刻み込み,100年後の世代も1000年後の世代も災害時に正しく対応することができるかどうかだと思います。

(8) 再び話を災害全国協議会の四国地方に戻し室戸岬について

長い傍論を経てようやく冒頭の全国協議会(徳島)に戻ります。実は徳島での災害協議会でたくさんの学びを得たあと,高知県の室戸岬を訪れてみました。室戸岬は,ブラタモリ的にいえば,プレートテクトニクスの聖地です。この地球の営みを極めてシンプルに記述してくれるロマン溢れる理論を実証した場所こそ室戸岬を含む高知県の沿岸部です。そのため室戸岬は日本に8か所しかない世界ジオパークに認定されています(ちなみにわが静岡の伊豆半島もこの4月に世界ジオパークに認定されました。)。

南海トラフでのプレートの潜り込みの際に地球内部に入り込めない塊はプレートから剥がされ,ナイフでバターを削り取るように付加体となり日本列島に次々にくっついていったことは既に説明しました(厳密には今の南海トラフではありませんが)。その一番最近くっついた付加体が室戸岬を含む四万十帯になります。時期的にいえば室戸岬が日本列島にくっついたのは,約2000万年前以降というごく最近(笑)の話です。遥か赤道付近から移動してきたプレートの運動により,プレート上の岩石や海溝付近にある陸上由来の堆積物がごちゃ混ぜになった上で,プレート境界で削り取られ付加体となり陸にくっつきます。この地球上のダイナミックな現象を証拠として示すように,室戸岬のあたりでは,遠洋にしか存在しない海洋玄武岩,海洋にしかないチャート(海底に堆積した放散虫などの化石),含放散虫珪質頁岩,そして陸を起源とする砂岩や泥岩の互層の地層などが混ざり合っているのです。ナイフで削ったバター(付加体)には海や陸の様々なものが混在しているのですね。こうした混在はメランジュとも呼ばれます。室戸岬は,高知の一本釣りのカツオのように,今陸に上がったばかりの獲れたて新鮮な日本列島がみられる稀有な場所なのです。

室戸岬の海岸沿いに何気なく存在する1つ1つの岩石について,これが一体どんな岩で(砂岩?泥岩?斑れい岩?チャート?),ここに存在することがどんな意味を持つのか,この1つ1つの岩石がどれぐらいの時間をかけてできたものなのかというような話を延々と説明した結果,同行した災害対策委員を心底うんざりさせてしまったかも知れませんが,福井県の東尋坊1つとっても,それを「ああ有名な崖ね」とだけみるか,なぜこんな火山がないところに溶岩が冷えて収縮した玄武岩の立派な柱状節理があるのかと考えるかで景観を見る目は全く変わってきます。少しの知識があれば東尋坊の前でも1億年のタイムスリップができてしまいます。

(9) 静岡は自然災害の痕跡や地球科学の宝庫。大人の遠足で自然と裏表にある災害問題を身近なものに

静岡県は,他の都道府県にほとんど例がないほど,地球科学の結晶の宝庫,災害痕跡の宝庫です。ぜひ機会があれば,静岡で暮らす喜びを再認識する機会として,おひとりで,あるいはご家族で静岡のジオサイトを訪問してみて下さい。そして,その大人の遠足を,この国で,あるいは静岡に生きる者として,「自然災害と共に生きるための作法」についていま一度考えるきっかけにしてもらえれば幸いです。正しい作法を身に着け,家族や地域の命を守ることは,弁護士の基本的人権の擁護活動の一環でもあるはずです。

最後に,静岡のお勧めのジオパーク・災害痕跡地をいくつかご紹介しておきます。東部なら,大室山噴火で流れた溶岩の見事な柱状節理がみられる城ケ崎海岸(伊東市),伊豆半島が本州に衝突した境界である神縄断層の露頭(小山町),北伊豆地震で水路や神社の階段がずれた横ずれ断層の痕跡がそのまま残る丹那断層(函南町),富士山噴火で流れた溶岩が断層運動で地表に露頭した富士川の入山瀬断層の露頭,中部なら糸魚川静岡構造線の露頭や南海トラフ地震で崩落した大谷崩(いずれも静岡市),西部なら大井川で見られる極めてダイナミックな神尾褶曲断層(島田市),掛川層群での化石採取(親子で!),江戸時代から残る高潮避難の命山(袋井市),明応の南海トラフ地震で浜名湖が太平洋とつながり汽水湖となった湖西市の今切(海釣りも!)。そして浜松からなら少し足を延ばせば中央構造線の露頭や博物館,フィリピン海プレートの玄武岩から染み出した太古の海水による温泉が楽しめる鹿塩温泉(いずれも大鹿村)だって行けてしまいます。

ジオサイトの宝庫である静岡では,日々新たなスポットも発見されています。昨年6月には,静岡市清水区で糸魚川静岡構造線の超巨大露頭が発見されました。発見者の地質学者塩坂邦雄先生のご案内で見に行きましたが,同じ糸静線の断層露頭として国の天然記念物に指定されている新倉露頭(山梨県南巨摩郡早川町)をも凌ぐスケールで,道中の美しいわさび田を横目の登山と露頭の感動とで,思わず胸も膝も震えます。遠からず天然記念物に指定されるでしょう。同じ塩坂先生は,今年3月にも駿河区丸子で巨大な砂岩泥岩火山灰の地層を発見し,静岡新聞で大きな記事になっていました。話を伺ったところ,この地層が1500万年ほど前にこの地の海底に堆積した地層だと証明されれば,長年諸説あった糸静線の西端が十枚山構造線と確定される可能性があるとのこと。駿河区丸子がとろろ汁に続く町おこしの宝を手に入れる日も遠くないかも知れません。

皆さん,ゴールデンウィークや夏休み,遠くに行くのもよいですが,お一人で又はご家族で,世界に誇る地元静岡のジオサイトや災害痕跡地に目を向けてみるのも悪くないですよ。

以上

 

 

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