津波災害からの復興(2)
津波災害からの復興(2)です。
ここでは防潮堤について。
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私は、ごく個人的な考え方として、なるべく自然と共生した生き方をしたいと思っています。
地球のこれまでの歴史(地球科学)やその痕跡(地学)を学べば学ぶほど、人間はそもそも自然の中に抱かれたちっぽけな存在で、自然の中から恵みを得、他方で自然災害の脅威に脅かされながらずっと存在してきたということを痛感します。
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極端なことをいえば、ある日、巨大な隕石がメキシコに落ちて有無をいわさず恐竜を絶滅させたように(その結果人類が誕生しています)、どんな対策を練っても、桁が違う規模の自然災害から命を守ることはできません。
巨大な隕石が明日落ちてくればそれで人類は終わりだし、太陽が地球を飲み込んだり、宇宙が終わりを告げる時間を待つまでもなく、巨大隕石規模の自然災害は今後いくつも起きるでしょう。
また、そこまでの規模を想定しなくても、たとえば鹿児島にある鬼界カルデラは7300年前(←昨日の話ぐらい最近のこと)に破局噴火を起こし、九州や四国の縄文人を全滅させたといわれていますが、そろそろまた定期的に破局噴火をする時期に入っており、学術調査でもそのリスクが確認されています。
では、この鬼界カルデラの噴火に備えて何か防災対策はとられているでしょうか?(とりようがないですね・・)。
本当の意味で長期的な視点で考えれば、自然災害の備えなどある意味では無意味です。
死都日本 ←九州の破局噴火について知りたい人はこの本を
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しかし、もちろん現実にはそんな乱暴な話は許されず、できることはやろうよ、ということで、短期的な視点で、人類は自然災害の犠牲を少しでも減らそうと頑張ってきました。
治水対策は山から海への土砂の運搬機能を著しく減退させ、海岸線を日に日に削ったり、魚の住む場所を奪ったり、海の栄養を減らしたりしていますが、それでも洪水はずいぶん減り命や家屋を失う人は減りました。
↑ 皮肉のような書き方にみえるかもしれませんが淡々と描写しているつもりです
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しかし、他方で、いま人間が「自然災害」と呼んでいるものこそが、人間が社会を築けているおおもとでもあります。
・幾多の土砂崩れや山体崩壊の結果なだらかになった土地に人は集落を作っています。
・幾多の洪水が広大な扇状地を作りそこに都市が生まれました。
先日の西日本豪雨の報道をみてふと思いました。
中国山地の花崗岩の山々から運ばれる風化した真砂土(まさど)が土石流とともに町を埋め、白い砂浜のようにしました。
1m、2mと砂が町を家屋を埋め尽くし、たくさんの人々の命と生活を奪いました。
しかしこの自然現象は、これまでこの地で何万年、何十万年、何百万年と繰り返されてきたことで、これにより人が住む平野を作ってきてくれたものでもあります。
どんな場面でも、自然や自然現象と人間の関係では、災害の驚異と、恵みとの両面が、まさに裏表のように一体となっています。
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今回は、津波災害からの復興における防潮堤の話です。
人間は、自然災害、自然現象に際してどのようなスタンスをとり、生きていく、生き延びていくべきなのか。
これが問われています。
人間の「生き方」の問題ですから答えはありません。最終的にはみなで議論して決めるしかありません。
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私は洪水からのある程度の治水対策には肯首できても(ある意味人間の歴史そのものです)、津波対策で大きな防潮堤で町を囲うことにはどうしても違和感があります。
東北被災地の復興では、将来の津波を2つにわけています。
30年とか100年周期でくる津波(レベル1)と、東日本大震災のような1000年周期でくる津波(レベル2)です。
明治や昭和の三陸津波もレベル1に含まれます。
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現在計画、着工されている三陸の津波防潮堤はすべてレベル1に対応する規模(高さ)です。
レベル2の津波では越水されることを前提にしています(ただ防潮堤はその場合でも津波到達時刻を遅くし、また勢いを減殺してくれます)。
女川の計画はこの図のとおり。
わかりやすいので講演でもよく紹介しています。
レベル2の津波は越水してきますが明治三陸津波はなんとか防ごう、と。
さらに低地には住宅は禁止し水産業の場所、ちょっと高いところには商業エリア、さらに高いところには住宅とわかりやすく区分されています。
完全に町が完成してみないとわかりませんが、きっと商業エリアや住宅地からは(山や建物が邪魔しなければ)海が見えるでしょう。
そういう設計をしたということです。(というか、海からずっと坂になっている地形上の影響も大きいですね)
女川駅の上階からは海がしっかりとみえています。
中央にまっすぐのストリートを通したことでどこからでも海がみえることは、実際の津波避難の際にも非常に重要です。
陸前高田は、海側の3mの第一線堤と、陸側の12.5mの第二線堤で防御する体制です。
↑詳しくはこちらで
以前7万本あった松原を3万本植樹し、高田松原を再生し、防潮堤と景観を整合させようという狙いもみえます。
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興味深いのは陸前高田の人々の海の眺望に対する考え方です。
インタビューの結果によれば、
・もともと高田松原があることによって海への眺望が開けていたわけではないこと
・市街地は平坦な地形で建物に遮られて海がみえにくい構造だったこと
ということで、防潮堤によって海が見えないことに対する拒絶感は強くないことでした。
また、当然ながら、町を飲み込んだ大津波、中心地区は人口の15%もの犠牲者をだし、いまだに多数の行方不明者が残る中で、海に対する距離感が残る市民も数多くいることも忘れてはいけません。
陸前高田の規模の防潮堤は、私には違和感が生じてしまうものですが、一方で、市長としてのやむを得ない事情も理解はできます。
陸前高田の市街地は気仙川が作る三角州。
海抜は低く、傾斜なく低地が広く町を覆っています。
そこを15mとか17m(TP:東京湾海面基準)という大津波が襲ったのです。
中心部の1万人規模の住民を移転させるだけの高台の確保は難しく、また町の存在自体が町を潤す商業の町です。
中心市街地を残さないわけにはいきません(中心市街地全てを高台に移転するのは不可能です)。
となると、中心市街地の低地を「安全」な場所にするほかない。
陸前高田に人が住んでもらうためのメッセージとしても・・・。
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こうして、手段として、市街地全体のかさ上げ(10m規模のかさ上げをし全体を海抜12m程度にする計画です)を行政が選択した事情がみえてきます。
しかし、それでも15m、17mという津波が襲ったことから安全とは言い切れないため、防潮堤による津波高減殺効果(←本当にそんなものがあるのか個人的には疑問)とセットとして説明し、
・新しい市街地は安全
・だからみなさん戻ってきてね
とアナウンスしているわけです。
防潮堤の好き嫌いだけでは語れないその土地その土地の事情、都合もあるということですね。
平成30年12月
弁護士 永野 海