相良油田の里公園(牧之原市)
よく知られているのか、あまり知られていないのか。
牧之原市には、相良油田の里公園という珍しい公園があります。
公園内には、バーベキュー場やグランドゴルフ場もありますが。
見るべきは、相良の油田の歴史!
この写真は油田を手彫りで掘っていたときの井戸を再現したもの。
これも同じ、手彫り井戸の小屋を再現したものです。
サイズも当時と同じです。
小屋内部の様子。
掘っているのが原油ですから、建物に換気のための工夫もなされています。
平均80メートル、手彫りで掘っていたんです。
一人2時間掘って、4交替性で、毎日8時間掘り続けたようです。
公園内には油田資料館もあります。
残念ながら故障したままの機械も目立ちますが、もったいないのでぜひ修理してもらいたいですね。
相良油田は、日本の太平洋岸で唯一の油田です。
明治5年に発見され、最盛期には日本の原油の1割(ドラム缶3600本分)を産出しました。
手彫りの井戸は240坑もあり、600人もの坑夫が働いていましたが、昭和30年を最後に幕を閉じました。
驚くべきは相良油田でとれる原油の品質!
左が最近採掘した相良油田の原油、右は写真左が中国、右が中東の原油。
中国や中東の原油が真っ黒の重油ばかりの原油なのに対し、相良油田の原油は、そのまま飲めそうな透明度のあるウイスキー色。
品質の高さ(それも異常な高さ)は、上記比較表で明らかです。
原油に占めるがガソリンや灯油、軽油の割合をみてください。
相良の原油は大半がガソリンや灯油、軽油。
だからあんなに透き通った美しい色をしているんです。
結果、精製なしにそのままでバイクを走らせることすらできます(すごい!)。
他方で世界各国の原油はこのとおり。
ほとんどが重油です。
だからあんなに黒いんです。
なぜ相良で原油がとれるのか。
上図でわかるように、原油がとれるところは、地層が山なりになっていますね。
こういう褶曲を、背斜構造、といいます。
このあたりの地層は、女神山が石灰岩が貫入したような地質であることを除けば、砂岩と泥岩の互層の地層です。
その互層の地層が山なりにぐにゅっと褶曲し、背斜構造を持ちます。
その背斜構造の山の上の部分に原油がたまっているんですね。
原油を採掘する縦穴。
原油はどうしてできるかご存知ですか?
まずプランクトンなどの死骸が海底に溜まります。
海底には河川から運ばれた土砂が絶えず堆積していきますから、海底に土砂が堆積するほどに当初あったプランクトンの死骸はどんどん深いところに移動します。
海底の地下深いところに移動すると地熱により熱せられ、またバクテリアの働きにより長い時間をかけて原油へと変身していきます。
変身した原油は、水などとともに地層の中に取り込まれますが、原油は比重が軽いので、地層の中で、水よりも上に上がっていきます。
原油は上へ上へと上がっていこうとしますが、特定の透水性のない地層に達するとそれ以上は上にいけません。
この相良では、透水性の低い細かい粒子でつまった泥岩層が、原油がこれ以上上がっていけない蓋の役目をしたものと考えられます。
この場合、ここでの相良層のように山なりの背斜構造の地層になっていると、ちょうど原油が上に上ってきたときに溜まりやすい空間として機能することが、理解できますよね。
そのため、世界中でも、こうした背斜構造の地層には、原油が溜まりやすくなっているのです。
この資料館には、当時の様子がわかる展示が数多くなされており非常に楽しめます。
当時の借用書(証券)、面白いですねえ。
これはこの相良油田の所有者大日本東京石油会社の株式の証券。
これは働いていた坑夫の給料の記録。
当時の相良油田を再現。
これが面白くて、くるくると一回転まわすと、左の相良の原油と、右のサウジアラビアの原油のドロドロ具合の違い(粘性の違い)がよくわかります。
再度きれいに整備しなおしてもらいたいですが、直留ガソリン(ナフサ)、ガソリン、灯油、軽油、重油などがどれぐらい色や透明度に違いがあるか、よくわかります。
油田の里公園から少し車で山の上にあがると、油田の石油坑(本物)をみることができます。
牧ノ原台地らしく、茶畑の中を歩いて登っていくとすぐに、
立派な石油坑が迎えてくれます。
昭和25年に開坑された本物の石油坑です。
いくと石油の匂いもちゃんとします。
2年に一度ここから原油を採取し、市民に公開されているのです。
すごいですね。
石油の匂いがしますよ。
いかがでしたか、なかなか面白いですよね。
日本では珍しい原油採掘というだけでなく、砂岩泥岩の互層や、背斜構造という地層にもしっかりとつながっている原油。
ぜひ一度訪れてみてください。
平成31年2月
弁護士 永野 海