BLOG

  1. HOME
  2. ブログ
  3. ブログ
  4. 洞爺湖と有珠山(4) 自然との共生について

洞爺湖と有珠山(4) 自然との共生について

 

洞爺湖と有珠山のぶらり防災の旅。

最終回は,まとめを兼ねて,有珠山と洞爺湖温泉街にみる

「自然災害との共生」

について考えてみたいと思います。

ここでの写真は,洞爺湖温泉街のほど近くにある「金毘羅火口災害遺構散策路」で撮影したものを中心に使うことにします。

 

(2000年の噴火の際に結果的に熱泥流を一部せき止めた団地)

 

 

(写真右 金毘羅火口噴火の際,上流から熱泥流により流されてきた橋)

 

2000年の有珠山の噴火は,町のありとあらゆる場所が突如噴火口に変わるという恐ろしいものでした。

国道の下から噴火がはじまり道路を「山」に変え,居住区が突然噴火口になり,この金毘羅火口にもいくつもの噴火口が出現し町に熱泥流を流しました。

このような規模と内容の噴火災害であったにもかかわらず犠牲者が一人もでなかったのはなぜでしょうか。

 

(災害遺構の団地と現在の砂防えん堤)

 

1つには有珠山が非常に律儀な火山ということです。

このときまでの7回の記録上の噴火では,必ず前兆現象がありました。

噴火前に体をもじもじさせて,僕もうすぐ噴火するよと教えてくれるのです。

しかも,もじもじしたけど噴火しなかったという例も1度もありませんでした。

そのため行政にも学者にも町民にとっても避難につながりやすい火山なのです。

 

(温泉街への被害を阻止する砂防えん堤,遊砂池と,最後の砦となる堤)

 

しかも,もじもじから噴火までは基本3日~10日で起こるという律儀さです。

早ければ32時間というのもありましたし長ければ半年という例外もありましたが数日で噴火してくれる律儀さも避難につながります。

防災予算にもつながりやすいですね。

 

(温泉街への泥流を防ぐ鋼の板と土砂で作られた堤)

 

洞爺湖温泉街は最近の温泉です。

1900年代に入ってからの噴火により湧き出した温泉なのです。

歴史は新しい。

そこで火山を観光資源とした町が生まれ,その後2度の噴火災害に遭遇しました。

それでも町は火山との共生を選択しました。

 

(金毘羅山の火口(右)と洞爺湖温泉街(左) その間には泥流対策のえん堤)

 

洞爺湖温泉街は,明日ホテルの真下が噴火口になるかもしれないような極限の場所に立地する町です。

この金毘羅火口噴火も町からわずか350mの場所が突如噴火口に変わりました。

 

(金毘羅火口。次々に出現した大小の噴火口の1つ)

 

それでも町が観光業を続けるには条件が必要です。

1つには先ほどのような有珠山の噴火の予見しやすさ,対応しやすさが大前提になっていると思います。

その上で30年間隔の噴火というのは一見極めて短いスパンですが,逆にいえば噴火直後に投資すれば30年近くは回収期間が見込めるということでもあります。

休業期間も雲仙のように6年7年ということもなさそうです。

 

(当時のこの地,金毘羅山火口噴火の様子 温泉街までの距離に注目)

その25年,30年で固定資産を一度失い立て直すだけの利益をこの有珠山による温泉,景観,ジオという観光資源が生み出してくれるかのある意味経済的なドライな判断ですね。

基本が商売によってできた町ですから。

それを受け入れた人は30年に一度の避難生活も受け入れる覚悟が当然必要になります。

問題は,今後,予見できなかった噴火が生じた場合にどうするか,たくさんの犠牲者がでてしまった場合にどうなるか,というところもあろうかと思います。

 

(有珠山と洞爺湖温泉街)

 

さて,写真のこの金毘羅火口の熱泥流が人命を奪わなかったのは,律儀な山を信じ,それを前提に町民が避難をしていたからです。

また,温泉街にまで壊滅的には泥流が達しなかったのは,1977年の噴火後に設けた砂防ダムが一応の機能をし,また写真にある団地(当時3棟ありました)や公衆浴場がたまたま砂防ダムの役割を果たしてくれたことなどの偶然もありました。

 

(1977年からの噴火でも今回と同様の場所で泥流被害が発生していた)

金毘羅火口展望地の上からこの新しい砂防えん堤をみていると,これで果たして大丈夫?と思ったのですが,今日実際に目の前にするとなかなかの巨大構造物で驚きました。雲仙のスーパー砂防えん堤ほどではないにせよかなり大きい。

砂防えん堤は有珠山山麓の地盤が脆いことを考慮し鋼の板ではさみその中を噴火により生じた土砂で埋めるとい面白い方法がとられています。

頑丈です。

その上で砂防えん堤で勢いを緩め,導流堤で流れるべき方向をつくってやり,泥流を最後にためる広大な空間を用意しています。

 

(泥流対策として町の3か所に,人工的に泥流を洞爺湖に導く水路を整備)

 

どこまで準備しても結局は,有珠山の場合は,どこから噴火するかわからないのが最大の特徴なので,結局は全員で避難するしかないわけですが,少なくとも温泉街への致命的な土砂流入だけはくいとめて再起を図れるようにという意図かと思います。

現在ビジターセンターがある場所ももとは小学校。ここにも2mの泥流が押し寄せ小学校は移転しています。

ビジターセンターで上映されている映画では,(片田先生が地元の子どもたちが故郷や海を嫌いにならないように慎重に津波防災を教えるのと同様),有珠山を悪者にしない配慮が印象に強く残りました。

 

 

(砂防えん堤と泥流を洞爺湖に誘導する人口水路)

 

有珠山はやさしい(←噴火の予兆を律儀に教えてくれるという意味)という言葉が何度もでてきました。

これは防災上教育上の配慮でもあり,防災まちづくりをする上での住民へのメッセージでもあり,また住民の,そう思いたいという希望,願いにも感じられました。

火山から神様が誕生するのと近いようにも思われたのでした。

 

 

平成30年5月

静岡市清水区 弁護士 永野 海

関連記事