道の駅猪苗代からみた磐梯山の南側からの山容です。

 

こちら側からは山体崩壊の痕跡はみられませんが、裏側は全く異なる表情をみせるのが会津磐梯山。

今回はその裏側に行ってきました。

 

まずは裏磐梯にある磐梯山噴火記念館で、明治の時代に磐梯山になにが起きたかを学びましょう。

 

明治21年当時の貴重な写真です。

福島県の磐梯山は、数十万年の噴火の歴史を持つ成層火山ですが、これまで何度も山体崩壊を繰り返してきた山でもあります。

 

繰り返す山体崩壊の痕跡は、地層の分析から判明しています。

 

 

ここでは、過去の噴火の際の、火砕サージやラハール(火山泥流のイメージに近い?)の地層をみることができます。

 

 

1888年に起きた大規模な山体崩壊により、磐梯山を構成する山体の一部が消失し、麓の村を埋没させ、500人近い犠牲者をだし、埋められた地形には、いくつもの沼が誕生しました(五色沼など)。

 

 

噴火記念館では、磐梯山をめぐる様々な地質も学ぶことができます。

 

 

明治の山体崩壊による岩屑なだれは、この模型の大きな「桧原湖」にも大量に流れ込みました。

繰り返す磐梯山による山体崩壊で流れくだった堆積物は、この辺り一帯を100メートルから150メートルの厚さで覆っているそうです。

 

 

記念館には、当時の貴重な被害写真や記録も展示されていました。

 

 

この日は生憎の小雨交じりの曇天でしたが、まずは先程の桧原湖へ。

この時期、広大な湖一面が氷で覆われています。

 

 

氷の桧原湖の背後にそびえるのが磐梯山(裏磐梯)。

山体崩壊によって、大きくU字型にえぐられています。

 

 

桧原湖の東側からの磐梯山。

磐梯山の山体崩壊で大切な教訓は、この山体崩壊は、大規模なマグマ噴火により生じたものではないということです。

 

 

この山体崩壊を引き起こしたのは、単なる(といっては語弊がありますが)水蒸気爆発です。

カルデラ噴火や、マグマ噴火でなく、御嶽山もそうでしたが、より頻繁に起こる水蒸気爆発でさえ、これほどの山体崩壊を引き起こす「きっかけ」になるという認識が大切です。

活火山の近くにお住まいの方は、そのリスクについて、ぜひ知っておいてください。

 

 

では、今度は、火山活動の「恵み」の面、磐梯山の山体崩壊が生み出した美しい五色沼を散策してみましょう。

 

 

3月半ば以降で新雪がなければ、雪道ではありますが、カンジキまでは不要で、ゴアテックスの登山口でなんとか可能でした。

 

まずは青沼。

 

火口近くの銅沼(あかぬま←最も訪問したかったものの冬なので断念)には、噴火により鉄、アルミニウム、マンガンなどの酸性火山の噴火により、酸性の金属イオンが大量に溶け出しています(噴気孔からのガスが硫酸として岩石を溶かし出しているからだそうです)。

 

火口近くの銅沼から地下をとおって五色沼に湧水として湧き出す過程で、酸性成分は大幅に低下しますが、それでもここで生息できるのは水生植物程度で、プランクトンはほとんど生息していません。

そのため湖面が美しく、青くなります。

(青くみえるのは、酸性物質が化学変化しアロフェンの結晶となり、これが青の光の波長のみを太陽光から反射するため、という研究報告もあります)

 

 

雪で見えにくいですが、歩いていると、ところどころに山体崩壊で流れてきた巨大な火山岩を見にすることになります。

 

 

続いて、弁天沼。

酸性度は、火口からの湧水が流れてくる順番にしたがい、るり沼、青沼、弁天沼の順に低下していくようです。

 

 

この弁天沼では、火山特有の硫黄臭がしていました。

 

 

そして、五色沼を作り出した磐梯山の山体崩壊跡が背後にみえるるり沼。

 

 

なんとも幻想的な光景でした。

 

 

あのU字型の崩落地形が、多くの人を犠牲にし、同時に、現在の観光名所を作り出しました。

 

 

実は1888年の磐梯山の水蒸気爆発と山体崩壊は、日本赤十字社が、戦争以外の平時にはじめて救援活動を実施した災害で、その記念碑が建立されています。

裏磐梯を訪問されたときにはぜひお立ち寄りください(毘沙門沼へのルート入り口付近にあります)。

 

 

時間の都合もあり、竜沼、みどろ沼、赤沼は飛ばし、一度車で裏磐梯の物産館からビジターセンター方面に移動し、毘沙門沼へ。

時間に限りがあるなら、散策は、るり沼、青沼、弁天沼だけでもよいかも知れません。

 

 

冬の裏磐梯は、銅沼までいけない場合、山体崩壊跡をよく観察できる場所がそれほど多くないように感じました。

 

 

ということで、まずは裏磐梯スキー場への舗装路からアタック。

 

 

手前の小山(むしろ岩屑なだれにより生じた地形?)に邪魔されてはいますが、なかなかの至近距離でした。

 

 

裏磐梯スキー場到着。

20年ほど前にここでスキーをしたことが懐かしく思い出されます。

 

スキー場の上は、まさに崩壊地形そのもの。

なかなかの場所にあるスキー場です。

 

裏磐梯スキー場の東側。

岩屑流れに沿った地形のようにもみえます。

 

 

氷の桧原湖に戻ってきました。

 

夕方から、湖面から気嵐(けあらし)のような霧が湧き上がってきました。

 

霧の中に浮かぶ湖上の小屋が幻想的です。

ワカサギ釣りですね。

 

 

磐梯山の岩屑なだれは、桧原湖に大量に流れ込みました。

そのため湖岸の岩石はかなり特徴的です。

 

カラフルな火成岩に溢れていました。

 

 

そして、岩屑なだれは、堆積時に自然に堆積の厚さに凹凸を生み、こうした流れ山地形を桧原湖に作り出しました。

夏にこうした全景もみてみたいです。

 

 

夏の再訪を誓いつつ、桧原湖をぐるっとまわって、山体崩壊の撮影スポットを探します。

 

 

道の駅裏磐梯より少し南側から。

 

なかなかの荘厳な迫力です。

 

 

近づくと今度は木々が入ってきてしまいます^^;

 

 

自然の事象のスケールが圧倒的な景観を作り出します。

 

 

磐梯山。過去数十万年の噴火史の中で、何度も山体崩壊を繰り返してきましたが、明治時代の山体崩壊は特に規模が大きく、山を1つ失わせ麓を埋め尽くしました。

 

 

(雄子沢付近の集落から撮影)

それだけの山体崩壊が、マグマ噴火ではなく、頻繁に生じ得る水蒸気爆発を契機に生じたこと、水蒸気爆発は必ずしも事前に警戒態勢が敷かれない状態でも生じる噴火活動であることなどは、はぜひ知っておいて下さい。

 

平成31年3月

弁護士 永野 海