雲仙岳災害記念館訪問記の続きです。

こちらは,記念館からほど近い距離にある,同じ島原市内の土石流被災家屋保存公園。

 

地図でいうとこんな感じ。

地図左側の平成新山(雲仙岳近く)から,水無川に沿って土石流が流れ,最終的に土石流は,右側の有明海まで到達しています。

 

(大野木場砂防みらい館展示写真を撮影)

土石流の流れが生々しくわかるこの写真でみるとよりイメージがしやすいと思います。

 

ここでは,合計11棟の被災家屋を見ることができます。

ここに保存された家屋はいずれも1992年8月8日と14日の土石流の被害を受けたものです。

 

 

こうして改めてみることで,土砂がどれほどの高さまで家屋を飲み込んだのかが克明にわかります。

 

 

巨大な屋根で覆われている家屋もありますので,悪天候時にも見学できますし,また将来の保存上も観点からもよいですね。

 

 

土砂が室内に流れ込んでいる様子もわかります。

土石流の危険がある状況であれば,迷わず避難すべきことを肌身で感じることができます。

 

 

余談ですが,この保存公園は,道の駅に隣接していますので,地元島原市の美味しいちゃんぽんも食べることができます。

 

 

 

さらにさきほどの保存公園から雲仙岳方面に傾斜を登ったところにあるのが,旧大野木場小学校。

 

地図でいうとこんな感じ。車だと10分ほどでしょうか。

 

 

火砕流が校舎を襲いました。

火砕流は,高温の火山ガス,火山灰・溶岩片などが一体となったものです。時速100kmで,本体の温度は600~700℃にもなり,火砕サージ(高温熱風)を伴ってきますので,巻き込まれるとひとたまりもありません。

 

 

 

幸いにして,生徒たちは既に避難をしており一人の犠牲者もでませんでしたが,火砕流の恐ろしさを後世に伝えるべく,こうして当時のまま校舎,校庭が保存されています。

 

(大野木場砂防みらい館展示写真を撮影)

火砕流は熱風だけでなく,こうした信じられないぐらいの巨石も運んできます。

想像を絶します。

 

こちらの表示は,雨天だからなのか,残念ながら消えてしまっていました。

 

校舎を襲う火砕流をとらえた写真です。

 

ここに説明があるように,火砕流は,谷筋に沿って方向を変え,この大野木場小学校方向に向かってきたようです。

 

 

校庭には,当時火砕流の直撃を受けながら,見事に復活したイチョウの木も残されていました。

樹木の生命力には励まされますね。

 

そして,この小学校の横には,砂防みらい館が新たに建設されています。

200年に一度は必ず起こる雲仙岳噴火。

将来の犠牲をいかにして防ぐか。

 

(大野木場砂防みらい館展示写真を撮影)

極めて大規模な砂防えん堤が建設され,監視体制がとられています。

 

災害記念館に展示されていたように,巨大な砂防えん堤のあとに,逆ハの字の形のえん堤が複数設けられています。

 

 

わかりますか,写真が2枚に分かれて恐縮ですが,逆ハの字のえん堤。

 

 

同じ場所から上流方向を撮影したもの。

写真では伝わりにくいですが,見ているだけで怖くなるほどの大きさです。

こういう砂防えん堤ははじめて見ました。

 

砂防みらい館から撮影した横からの眺め。

水無川というだけあって,日頃は水のない川です。

 

赤の矢印が,小学校を襲った火砕流の流れ。

このグーグルマップでみると,小学校の地図上側を左右にかなりの数の砂防えん堤が築かれていることがわかります。

先ほどの写真のえん堤です。

 

この日は小雨と濃霧で,平成新山ネイチャーセンターからの平成新山の眺めは当初このとおりでした。山肌すらみえない。

ちなみに,この施設には複数の噴火に備えた避難シェルターがあります。

 

しかし,ひと目でも平成新山を目にしたいとぎりぎりまでねばっていたところ,突然霧が雲に流され,

 

山頂まで見せてくれました。

一瞬のことでした。

 

全2回にわたる雲仙岳噴火災害の訪問記はこれにて終了です。

あえて残された災害痕跡が100年,200年後の後世の世代にしっかりと災害の記憶として伝え,現代の叡智を結集した砂防えん堤にもよって,次の噴火災害では一人の被害もでないことを祈ります。

洞爺湖の噴火ではちゃんと実現しましたが,こちらは,噴火の間隔が一桁長いため,一層,災害の記憶の承継が重要になると思います。

 

平成29年10月訪問

静岡市清水区 弁護士 永野 海