雲仙岳災害記念館(島原市)訪問記
雲仙普賢岳の噴火に端を発した一連の噴火災害の被害や教訓を後世に伝えるための災害記念館です。
通称,がまだすドーム。島原地方の方言で「がんばる」という意味だそうです。
長崎市との位置関係は,こんな感じ。
長崎駅でレンタカーを借りて,現地までは1時間半から2時間ほどかかりました。
長崎へ向かう特急電車「かもめ」の列車内から撮影した雲仙岳。
幽玄,荘厳な姿に心を奪われます。
実は,島原半島のジオパークは,日本ではじめて日本ジオパーク認定を受けています。
世界ジオパーク認定も,洞爺湖有珠山,糸魚川と並んで日本で最初。
上記の写真は,雲仙岳噴火の様子をわかりやすくとらえています。
普賢岳の噴火にはじまりましたが,噴火活動により平成新山が生まれたわけです。
これが平成新山。
山というか溶岩ドームなんですね。
館内には火砕流の道が再現されています。
1990年に発生し,1996年に噴火が終息し,そこで残された平成新山ですが,当初の1991年は温度が900度もあり,2013年の時点でも84度もあったと記録されています。
すごいですね。
雲仙岳は,記録に残る限りでは,1663年,1792年,そして今回の1990年と,100数十年から200年置きに噴火しています。
過去の噴火の様子などは昔の絵図にも残されています。
1792年の噴火の際の,雲仙岳の一部,眉山(まゆやま)の山体崩壊によって生じた「島原大変肥後迷惑」は,大変有名です。
幻想的な雰囲気をみせる写真右側の眉山(写真奥が雲に隠れる平成新山)。
出典 www.nagasaki-tabinet.com
写真がとれなかったので上記から引用します。
極めて大規模な山体崩壊跡が残っていますね。
書き込んだ1が,平成新山。
2が眉山の山体崩壊跡。
これが下の矢印方向に向かって,どばーーーーーっと流出していったわけです。
3の丸で囲んだのは,その山体崩壊により生じた新しい地形です。
この山体崩壊の土砂が一斉に有明海に流れ込んだことで,10m以上の大津波が発生し,この津波が対岸の肥後天草(熊本県)を襲い,熊本側だけでも5000人の犠牲者をだしました。
これが,島原大変(山体崩壊),肥後迷惑(津波による被害)です。
1990年からの噴火災害に戻ると,これが1991年6月に発生した土石流の流れ。
水無川に沿って有明海まで流れてきています。
これは1993年6月のの大規模な火砕流の流れ。
噴火からかなり期間が経過し,当然警戒態勢が布かれていましたが,それでも犠牲者がでました。
記念館では,土石流を防ぐ砂防工事の仕組みもパチンコ玉を土石流に見立てて学ぶことができます。
逆ハの字型になっているんですね。
雲仙岳の噴火災害の最大の特徴の1つは,災害期間が長いことです。
この年表,端から端まで写真に収めるのに,12枚の写真を要しました。
溶岩ドームができては崩れ,火砕流となり,継続的に土石流が生じ,災害が6年もの間続きました。
災害が続いているということは,元の街の復興に取り掛かれず,長期にわたる避難生活を余儀なくされることを意味します。
地震や津波被害とはまた違う,災害の側面です。
何年たっても終息せず,復興計画を描けない間,被災者の方の思いがどのようなものだったかを考えてしまいます。
館内には,当時の生々しい痕跡が展示されています。
溶岩ドームが崩れ落ちると,火砕流が発生します。
山肌を駆け降りる火砕流の速度は,時速100km,温度は700~800度にも達します。
火砕流により死者・行方不明者あわせて44名の被害が発生しました。
現在の平成新山を東側からみた様子(平成新山ネイチャーセンターから撮影)。
火砕流は,写真左側に向かって流れました。
このネイチャーセンターは,噴火災害後に,自然の再生の様子を研究するために建設されました。
当日は,雨天で島原市の麓からは全く平成新山はみえず,このネイチャーセンターに向かうまゆやまロードも10m先が見えないような濃霧でした。
しかし,いよいよ帰路につかなければならない時間のぎりぎりになって,このように一瞬だけ濃霧がはれ,平成新山が姿をみせてくれました。
こちらは,復興へのあゆみの年表。
平成9年に島原鉄道が4年ぶりに全線開通,砂防ダム工事が着工し,火砕流により壊滅的な被害を受けた大野木場小学校の新設校舎が完成。
農地の復旧工事が進められ,水無川には導流堤が完成。住宅の着工も開始するなど,生活の再建,生業の再開,将来の災害に備えた防災対策が進められていきました。
そのほかにも記念館には,噴火災害を身体で感じるための工夫をこらした展示が数多くありました。
平成30年春にリニューアルオープンされるようですので,特に,火山災害が懸念される地域にお住まいの方などは,リニューアルオープン後にぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
次回は,島原市内の噴火災害の痕跡を紹介します。
平成29年11月訪問
静岡市清水区 弁護士永野 海