「海に沈んだ故郷」堀込光子堀込智之
海に沈んだ故郷(ふるさと) 北上川河口を襲った巨大津波ー避難者の心・科学者の目/堀込光子・堀込智之(連合出版)
石巻市立大川小学校がある釜谷地区よりさらに海側の、北上川河口右岸に長面(ながつら)地区があります。
著者のご夫婦はこの長面地区に住んでいました。
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この本は前半と後半にわけられ、前半は、妻の光子さんの執筆担当部分で、あの日何が起きたのか、住民らはどのように命を守り、他方命を失い、命を守られた人が翌日以降どのように生きてきたのかが詳しく語られます。
後半は、夫の智之さんの執筆担当部分。
あの日起こった津波についての足を使っての詳細な調査と考察がまとめられています。
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前半部分、光子さんが、あの日自ら見て、経験して、そして多数の人から聞いた内容を詳細にまとめた事実記録が非常に貴重で、あの日の長面地区や釜谷地区に何が起きていたのかを正確に学ぶことができます。
ちなみに、堀込さんご夫婦は、この本を読む限り、自宅はもちろん津波により完全に破壊されてしまったものの、身近な家族やごく近い親族をこの地震と津波で失ったことはなく、また親戚や知人らの差し伸べる手により避難所暮らしも早々に解消できています。
あの地震と津波での長面地区や釜谷地区の壊滅的な状況(たとえば釜谷地区ではあの日釜谷地区に残っていた住民の8割以上が津波により亡くなっています)を思うと、この(地区内で相対的に被害・被災が小さかったともいえる)ご夫婦のまとめた書物を読んで微妙な心持ちになる方もいるだろうと思います。
(この点は、被災地のいたるところでおきている被災の程度による差別、人々の心の悲しい分断そのものでもあります・・・)
しかしそれでもやはりここまで詳細に、また正確にあの日とあの日以降の記録を残していただけることは、東日本大震災から1つでも多くのことを学びたいと思う人間にとっては非常にありがたいのです。
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堀込さんご夫婦が高齢であり、また地震後の避難がかなり遅れたにもかかわらず、すんでのところで津波から命を守られたのは
・津波到達まで30分あったこと
・近くにより高くに避難できる山があったこと(道も辛うじて整備されていたこと)
・光子さんは足が不自由であったものの、急傾斜の山を登るに際し夫のサポートを得られたこと
の3つで、
山への避難後、夜は氷点下にもなった状況で凍える山で2泊過ごすという厳しい状況のなかで命を守られたのは
・避難が遅れた原因でもありますが防寒着、防寒具をわずかでも持っていたこと
・ライターを持っていた人がいてそれにより火をおこすことができたこと
・山だったのでおこした火を絶やさないための材料があったこと
・その材料を夜通し集める男の人手があったこと
・雨が振らなかったこと
・翌日、麓のお寺に流されなかった玄米があり、お寺の鐘と火を使って粥を作ることができたこと
・脳が非常事態のスイッチを入れたこと
などによります。
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実際、高齢者が、食料もない中、氷点下になる山で、眠ることもできないまま二泊三日すごすことは、直ちに生命の危機に直結します。
実際、この本では、横で寝ていると思った高齢女性が朝みたらそのまま亡くなっていた、という事実描写もあります。
しかしその描写も極めてさらっと書かれてあることに、この地震と津波がどれだけ甚大な被害をあの日この場所に与えていたかを物語っています。
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堀込さんご夫婦、特に足が不自由な光子さんは、地震後、裏山で二晩過ごしたあと、自衛隊のヘリで救助されるわけですが、この救助がもう少し遅れていたらさらに多くの人命が失われていたでしょう。
南海トラフ巨大地震での被害は、東日本大震災の10倍以上だと推定されています。
この長面地区と同じように、太平洋岸のいたるところで、山での野宿によりわずかな命の灯火を燃やす人々がでるでしょうが、果たして、2日目3日目の救助のヘリはくるでしょうか。
東日本で実際に起きたように、高い場所に避難しても、数日間、水はひかないかもしれません。火災が鎮火せず降りられないかもしれません。平地に降りれたとしても全てのものが流され水も食料も防寒着もなにもないかもしれません。
津波避難タワーや高台への避難訓練は必須ですが、救助がくるまで生き延びるためのものつめたリュックサックをセットで考えましょう。
地震で揺れて逃げられない3分間、その後数分で津波が到達する南海トラフ沿い。堀込さんご夫婦のように、揺れてから荷物をまとめる時間はありません。
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ともあれ、この本は、あの日一体何が起こったのか、あの日からどのような生活を人々が強いられたのかを詳細な事実から学べる貴重な教材の1つです。
また、他の被災地域での教訓と同様ですが、どのような背景があると、人々をして、「地震=即高いところに避難」という行動をとらせないのかについても、しっかりと記載されています。
後半の津波痕跡に関する足を使って行った調査記録や考察も貴重です。
ぜひ手にとっていただければと思います。
2019年7月
弁護士永野 海