震災遺構・請戸小学校(福島県浪江町)
福島県双葉郡浪江町にある請戸(うけど)小学校の跡地。
福島県では珍しい震災遺構となりました。
海からの距離は約300m。
周囲には避難できる高台はありません。
あえていえば、避難できる高台は、小学校の西側およそ2kmの位置にあるこの大平山です。
震災後、霊園となりましたが、請戸小学校の児童らは、この大平山を目指して避難しました。
霊園となった大平山には、現在、震災犠牲者の名が刻まれています。
慰霊碑の右側、遥か奥の海側には、小さく請戸小学校の校舎が望めます。
津波が到達した15時38分で時計の針は止まったままです。
体育館の2階部分の窓グラスをみると、
津波により付着したと思われる泥の跡が残されていました。
10mを遥かに超える津波高。学校にとどまっていた場合、厳しい状況になっていたと思われます。
学校は、地震後の津波警報の情報を得たことも契機となり、学校から2km離れた大平山(写真奥)への避難を開始しました。避難開始後、児童の保護者への引渡しも行いませんでした。
津波は、幸いにも、児童全員が大平山への避難を終えた直後に、襲来し、子どもたちは全員無事でした。
子どもたちが地震後走って逃げた大平山からみた浪江町の請戸小学校。2kmは遠いです。
前述のように、津波警報の内容もあり、2キロ離れた大平山への避難を決めました。避難完了直後に津波が襲来したので児童は無事でした。
でも、津波警報の情報がなかったら、あるいは内容が違っていたらどうなっていたか。津波がもっと早かったら?
助かったということから学ぶのではなくて、そもそもこのような立地に学校を作ってはいけないこと、また、学校がすでにあってしまうなら、地震直後に引渡しなど絶対にせず直ちに高台への避難を開始する訓練を徹底しなければならないことを学ぶ必要があると思います。
でも、結局津波到達まで時間がなければ上層階に逃げざるを得ません。
となると情報がないと避難場所の判断ができません。津波警報の情報など実際には入ってくるかもわからないし、間違っている可能性も高いのに。
この矛盾が、ここに学校や、ましてや避難困難な人が利用する施設を作っては行けないことを端的に表しています。
この請戸小学校は、山元町の中浜小学校と非常によく似た立地(高台への距離含め)ですが、選んだ選択は対照的でした。
でも、やはりその違い自体には意味はなくて、学ぶべきポイントはどちらも同じだと思います。
令和2年12月
弁護士・防災士 永野 海