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土石流の災害痕跡地としての筑波山(つくば市)

表筑波スカイラインから臨む関東平野です。

平野の面積はなんと四国に匹敵。

4000万人の人がその上で生活しています。

 

筑波山にいくとき、車であれば、行きはこのスカイラインを使い、朝日峠経由でいくとまた違った表情の筑波山を臨むことができてオススメです。

 

遠方に筑波山。

右のピークが女体山(877m),左のピークが男体山(871m)。

しかし、関東平野の下の地盤は、一番低いところで深さ6000mもあります。

そのため、その底から見上げれば、筑波山は7000m級の大山脈ということになります。

 

いかにも火山という形状ですが、筑波山は火山ではありません。

山の上部は硬い斑糲岩(はんれいがん)というマグマが冷えてできた岩石でできています。

 

このなだらかで美しい裾野は、後述のとおり、山頂付近から定期的に発生する土石流によって作り出されたものです。

土石流の災害痕跡の山が筑波山なのです。

 

今回は、女体山山頂につながるロープウェイ駅にある筑波山形成ホテルに宿泊しました。

 

ホテルの部屋からも美しい関東平野と朝日峠を含む低山、その奥には霞ヶ浦も望めます。

 

この日は、写真中央、雲の上に富士山まで臨むことができました。

 

 

関東平野の夜景もきれいです。

 

あいにくの霧の天気ですが、9時20分始発のロープウェイで女体山を目指します。

 

ロープウェイ山頂駅を降りるとそこはもう斑れい岩の岩体です。

岩の山。

 

斑れい岩というのは、地下深くにあったマグマが冷やされてできた岩石(深成岩)です。

火山岩でいえば、玄武岩に相当する岩石で、二酸化ケイ素の成分が少なく、黒っぽい鉱物が多く含まれるため、黒っぽくみえます。

建築では、黒御影(くろみかげ)とも呼ばれます。

 

女体山の山頂にて。

当初はこの霧の状態でした。

 

山頂付近はひたすら斑れい岩です。

こうした雨の日は、つるつる滑ってかなり危険です。

 

ガマガエルに似ているために名付けられたガマ石。

有名な、ガマの油売りの口上はここで作られたとされています。

 

これも登山道。

筑波山が高い標高を維持できているのは、山頂付近が硬い硬いこの斑れい岩でできているからです。

 

 

筑波山の山頂付近の登山は、なめてかかると痛い目に合います。←痛い目にあった人

しかし斑れい岩の山はとても珍しく、貴重です。

 

筑波山の斑れい岩は、白亜紀、7500万年ほど前に作られたと考えられています。

もちろんまだ日本列島がアジア大陸の端にくっついていた頃の話です。

その後、6000万年ほど前に、この斑れい岩の周囲は、冷えてマグマが固まった花崗岩に取り込まれました(そのため筑波山の下側は花崗岩です)。

その後、1万年に1mとか2mという速度で(おそらくはプレートの圧力により)隆起し山になりました。

なんかすごい話に聞こえますが、そんなことはなく、現在の南アルプスなどは、フィリピン海プレートに押されて、毎年4mmずつ隆起していますので

1年に4mm

10年で4cm

100年で40cm

1000年で4m

1万年に40m ← すごい!

南アルプスがこうした隆起を今日もせっせとしていますので、(同時に毎年侵食され低くなるとはいえ)、1万年に1mとか2mという隆起は信じられないような話では全然ありません。

 

さて、この斑れい岩は、どんな形にみえますか?

 

これは、大仏岩、と呼ばれています。

大仏に見えますか?

 

こちらはみての通りの「屏風岩」。

 

斑れい岩は、隆起していく過程で、こうした割れ目(節理)がたくさんできました。

これが筑波山のたくさんの奇岩につながっています。

 

屏風岩からみるロープェイと女体山の山頂です。

 

再度、女体山(877m)の山頂から霞ヶ浦方面(東側)を臨みます。

奇跡的に晴れてきましたね。

 

こちらは南側、東京方面です。

 

ロープウェイを使ったにせ登頂です。

(ただ、奇岩群をみるためには、別途、登山・下山が必要です)

 

霧の写真からのリベンジ。

山頂の岩、斑れい岩なのに白っぽいと思いませんか?

 

これは、斑れい岩が冷えて固まる際に、斜長石などの白っぽい鉱物が上にいき、黒っぽい鉱物が下に沈殿する作用が生じたために、山頂付近の斑れい岩だけが、白っぽくなっているものです。

 

確かに、各地の斑れい岩をみていると、そんなに黒くないなあ、と思うこともしばしばです。

 

女体山の山頂からの男体山。

 

筑波山の麓の梅林です。

前述のように、筑波山は、数百年ごとに大規模な土石流が生じ、その度に山頂から硬い斑れい岩の岩体や礫が大量に流れてきました。

 

梅林の脇にある沢筋です。

土石流が斑れい岩を次々に流してきた痕跡を明確にみることができます。

 

梅林のなかはこうして流れてきた斑れい岩で埋め尽くされています。

 

 

梅林から筑波山を臨みます。

 

これらが山頂から転がり落ちてきたのですね。

 

一見すると富士山のような成層火山のようにみえる優美な裾野ですが、このなだらかな裾野が、幾多の土石流によって、砕かれた斑れい岩が気が遠くなるほどの量堆積した結果の緩斜面だ、という知識はとても重要です。

 

筑波山もまた災害痕跡といえる山なのです。

 

平成30年8月

弁護士 永野 海

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