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大久保山跡の柱状節理の霊園(沼津市)

火成岩が山肌に露頭しているこの山は、沼津市獅子浜にある大久保山です。

正確には、かつて大久保山と呼ばれたものの、相次ぐ砕石で山体が縮小し、大久保山跡地と呼ぶのが正確なようです。

場所はこちら。

防災高台移転を計画中の内浦重須地区の調査にいく途上、思わずこの山肌に惹かれて寄り道したのでした。

見て下さい、素晴らしい柱状節理です。

見た瞬間、柱状節理の霊園だ、と思いました。

調べると、デイサイト質(溶岩に含まれる二酸化ケイ素の割合が、安山岩と流紋岩の間ぐらいの火山岩)の柱状節理のようです。

この柱状節理の硬い火山岩を目当てに大量の砕石がされ、山がどんどん小さくなってしまった様子。

ここで砕石されては近くの港から船で石を運んでいたようです。

そうしたお話を聞くと、山の悲哀というか、まさに、柱状節理の霊園と呼ぶにふさわしいですね。

溶岩や火砕流などが地上でゆっくり冷やされながら収縮し、こうした角柱になっていきます。

すごいのは柱状節理のスケールです。

山麓の下段にも柱状節理、さきほどの中段にも柱状節理。

一体何メートルにわたって柱状節理が続いているのか。

写真、消防署の建物のちょうど左側にも柱状節理の露頭、その上、進入路の上にもさきほどの柱状節理。

この石のことをもっと知りたくなり、ちょうど外にでられていた沼津南消防署静浦分署の分署長でいらっしゃる近藤正明さんにお話を伺いました。

近藤さん、第一声が、「あの柱状節理、はいはい」というほど岩石にお詳しい。

その後、プレート理論、伊豆半島の衝突の話題まで広がりました。

お聞きすると、「仕事ですから」と。

つまり、そうした科学的知見をもっていることが、消防として地震、津波から住民の命を守るために必要だと自覚されておられる、ということです。

感動しました。

(先程の柱状節理の露頭からみる駿河湾)

近藤さんによると、柱状節理は海岸から続いている、とのこと。

場所を教えていただき、すぐに向かいました。

海岸に向かう途中にあった岩。

静岡市の「河内(こうち)の大石」の雰囲気に非常によく似ています。あれは安山岩とも流紋岩とも説明されていますので、組成も近いですね。

これが以前ご紹介した河内の大石。

この防潮堤に挟まれたこの山全体が柱状節理の岩体です。

このように山の写真右側から登って海側を覗くこともできますが、危ないのでお勧めはしません。

安全なルートは、先程の岩体の山からずっと北側に続く防潮堤を、防潮堤を左にみて歩いた先に。

海岸にでました。釣り人を横目にテトラポットの上をひたすら歩きます。

ありました。テトラポットの先に流紋岩的な白い柱状節理。

柱状節理の方向は先程と異なり、横、です。

摂理が先程より緩いですね。角柱、というところまでいっていない。

どの方向から冷えるかで柱状節理の方向も決まりますので、冷え方によっては最初から横倒しの柱状節理もできます。

溶岩などは中心部は縦の柱状節理、側面は横倒しの柱状節理で、放射状に柱状節理ができることもあるようです。

ここは本当に隠れたジオサイトですね。

沼津のみなさん、どの程度御存知なのでしょうか。

先程の大久保山の背後にそびえる沼津アルプスの鷲頭山などは、プレート衝突の際に隆起したと説明されます。

フィリピン海プレートが北上し、大陸のプレートと衝突したときに、この海岸の柱状節理の岩体や、大久保山なども隆起して地表に顔をだしたのでしょうか。

その衝突が、伊豆半島の本州への衝突も伴っていたとすれば、さらにロマンが溢れますね。

大久保山は、海底火山の火山の根が隆起したもの、と説明されています。

伊豆半島が本州に衝突した時期は(衝突していないという説もあります)、200万年前から100万年前ころとされています。

ごく最近の話です。

この大久保山の岩体ができたのも、だいたい同じ頃と推定されています。

いずれにせよこの辺りの地殻変動がすさまじかった時期です。

200万年前(もう少し前かもしれませんが)、このあたりは浅い海でしたが、フィリピン海プレートの動きに伴い、海底火山があちこちで噴火する大変な時代でした。

そんな中で、溶岩や、火砕流やあれやこれやが海底に堆積し、こうした地層が生まれました。

このあたりは本当に白っぽい二酸化ケイ素の成分が多い火山岩。

さきほどの大久保山はもっとデイサイトや安山岩寄りのグレーでしたよね。

岩石の色も、一体そこでどんな火山活動があったのかのヒントを教えてくれます。

さて、近藤さんからは、この少し先の狩野川放水路の出口付近でも、同じ地質の大きな岩体がみられますよ、と教えてもらっていました。

狩野川放水路の駿河湾への出口です。

写真では伝わりにくいですが(技術不足です)、ものすごい迫力です。

放水路というのは、洪水を防ぐために作った人工の川です。

「もっと流れたい!」という川の気持ちにあまり逆らわない治水の形です。

大雨が降れば、ここから、どばどばっと流れてくるわけです。

川や治水といえば、なんといってもこの「川と国土の危機」がお勧めです。

引き込まれる面白さです。

近藤さんのおっしゃるように、放水路の出口付近には、安山岩ともデイサイトとも流紋岩とも思える大きな一枚岩の岩体が露頭しています。

この辺りの地質の全体像を考える上でとても重要ですね。

放水路の駿河湾よりにもいくつも露頭をみることができました。

あまり知られていない沼津のジオサイトですが、200万年前の激しい地殻変動の痕跡です。

自然と共にある、自然の上にある日々の生活をいま一度意識してみてください。

近藤正明さん、様々な学びをありがとうございました。

平成30年10月

弁護士 永野 海

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