https://mainichi.jp/articles/20180426/k00/00e/040/311000c

今日の判決は本当に踏み込んだ,素晴らしいもので,胸を打たれました。裏山がどうかという議論よりも,もっと根本的なところで,はるかに厳しく子どもたちの命を預かる者の責任と覚悟を問う,司法ここにありとも感じる判断が示されています。

ハザードマップで津波避難場所とされていた大川小ですが,そんなものはそもそも自治体の判断の誤りで,そんなものを前提にすること自体が許されないと一刀両断しています。ハザードマップとは何かというところもしっかりと言及しています。ここまでの判決がでるとは恥ずかしながら想像ができませんでした。

この判決を得たわれわれは,この判決,規範を最大限に生かして,二度と同じような被害が生じないように個々が努力しなければなりません。

ありがたいことに,今年,大川伝承の会さんとのパネルディスカッションの企画をいただいています。しっかりと学び,大切な情報を発信していきたいと思います。

ご遺族の皆様,関係者の皆様に心より敬意を表します。

そして,本当に本当に本当によかったですね。

以下,余談ですが・・・

判決文のなかで,「児童生徒は教師の指示に従わなければならず,その意味で・・・」という非常に心に残る一節がありました。

しかも,この文章に対応する結語部分は,「批判的に検討することが要請される場合もあるのであって」でと,ある意味,弱いのです。

勝手な憶測かもしれませんが,この全体的にとても力強い表現,信念に満ちた言葉が溢れている判決文にあって,ここの「場合もある」という表現は周囲から若干浮いているようにすら感じます。

ここから勝手に判断されるのは,この裁判官は,ご遺族の思いを十二分に受けとめた上で,どうしても,(本来ひょっとすると必要なかったかもしれない),「児童生徒は教師の指示に従わなければならず」という部分を判決文に入れたかったのではないか,と最初に読んだときに自然に思いました。

私は常に自分がその立場にあったらという視点で事件を考えるようにしていますが,私がご遺族の立場だった場合に一番強く思うのは,「うちの子は先生の指示に従うしかなかったのに!」という憤り,悔しさだと思います。

そこをこの裁判官は心から感じ取ってくれたのではないでしょうか。

余談部分の冒頭の一節はこの判決文でもっとも心を打たれたところなんです。

そして,この判決に対する評釈については,ぜひ津久井進先生のFacebook投稿をご覧になっていただきたいと思います(公開)。

いつもの津久井先生の温かい眼差しをもった鋭い評釈がなされています。

そこでも津久井先生が鋭く指摘されているように,今回の判決が,「個人の責任→組織の責任」,「現場の判断ミス→事前防災の怠り」 に大きく視点を転じさせたことによって,一人ひとりの学校関係者の判決の受け止めとしても,「現場は忙しすぎる!」,とか,「先生だって必死!」,といった感情から解放され,この判決に静かに向き合い,耳を傾けてくれることにつながれば最高だと思います。

そうさせてくれる内容の判決ではないかと思います。

いや,先生だけではないですね,この社会を構成する個々の市民も同じです。特に,敗訴で税金がどうこうというずれた視点で考えてしまう悲しい人たちにとっても。

誤解がないよう祈りますが,この悲劇は,社会が自らお金を負担してでも後世のために得なければならない教訓です。

 

永野 海