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息子と行く女川 (被災地再訪・後編) 

女川町地域医療センターがある堀切山の麓には,いつもの光景がありました。

七十七銀行女川支店で起きた悲劇により大切な大切な息子さんを失った田村さんご夫婦の語り部の活動です。

写真は,東京から来られた方々。

東北で何が起きたのかを知ろうとして,学ぼうとしてここまで足を運ばれる方々です。

 

私もこの地を訪れた際に田村さんご夫婦から,ここで起きたこと,息子さんのこと,災害から命を守るにはどうすればよいかを教えてもらった一人です。

共通の防災人の知人・友人が複数いることがわかり交流がはじまりました。

この地もどうしても息子を連れていきたかった場所でした。

 

(堀切山に建つ医療センターと新しい土地利用計画に基づき盛り土造成がなされている現地)

田村さんご夫妻は,

◎なぜ銀行は行員を,銀行の避難場所に指定されていた(走ればわずか1分で到着できる)堀切山ではなく,二次避難ができなくなってしまう銀行ビルの屋上に避難させたのか *ビルの屋上を遥かに超える大津波が女川を襲いました

◎なぜ被害が発生したあとも企業として,あの日の事実,遺族の思い,将来の防災と誠実に向き合わないのか

 

企業のあり方を問い続け,ここを訪ねる人に,あの日何が起こったのか,3.11以降企業はどう対応してきたのか,津波から命を守るにはどうすればよいか,などたくさんの語りを続けています。

現在は,日航機墜落事故,シンドラーエレベータ事故,福知山線脱線事故など他の遺族とも連携しての活動です。

 

他方で,田村さんは,全国の小学生を対象に「命の授業」も続けています。

命の大切さ,命を守るにはどうすればよいか。

この日は,贅沢にも,息子は生徒一人で先生2人を独占できる「命の授業」を受講させてもらったのでした。

田村さん,ありがとうございました。

 

命の授業のあとは女川の町を歩きます。

復興のトップランナーとも言われる女川ですが,部外の者として町を歩いてみて何を感じるか,興味がありました。

 

 

女川の復興計画はある種シンプルです。

・1000年に一度の津波に対応する防潮堤は作らない。30年に一度の津波や過去のチリ地震程度を想定した防潮堤で,大津波では時間かせぎの役割のみを期待

・町全体に土地利用規制をかけ,沿岸部は漁業関係施設のみ,その周辺も居住は禁止し商業・工業のエリアとする。その上に盛り土でかさ上げしたエリアや新たに山間部の造成を行い,人はそこに住まう

 

女川町の全景です。

 

右が女川湾。こちらから15mの津波が襲いました。

上図の赤い太線が居住エリアと商業・港湾エリアの境です。

赤線より海側の居住は規制します。

 

これが商業エリア(赤線より海側)。

町のメインストリートです。

ここには人は住みません。

 

このメインストリートの海側の端から女川湾を撮影。

こちらはまだまだ造成中です。

もちろんここも居住禁止エリアです。

 

商業施設内はたいへんな賑わいでした。

行列に並ぶのが苦手な私は人気店はスルー^^

とてもきれいです。

季節,天気もよかったこともあり,思わずテラス席で食事をしたい気持ちになります。

 

この交流館では町の復興計画を知ることができます。

夜遅くまで開いているのがいいですね。

 

この建物のなかにあるのが・・・

 

そう,ダンボルギーニ!

 

リトル軽井沢というと言い過ぎかもしれませんが,ありとあらゆる施設があり,統一感のある街並みに歩いていてとても楽しくなります。

 

町が小奇麗すぎて,食べ物などもはや地元ならではの美味しさ,安さは実現できていないのでは?と不安になりましたが,それは杞憂でした。

朝どれの牡蠣は抜群に美味しく(甘い!),値段も安いです。

 

海の幸だけでなく,洋食も,洋服店も,理髪店も,バーも,カフェも,まあ何でもあります。

 

一番奥に小さく女川湾の海がみえるのわかりますか?

このメインストリートは女川湾から女川駅に向かって緩やかな登りの直線。

どこからでも海がみえる設計になっています。

防災上も大切なところですし,住民や観光客に安心も与えてくれます。

 

ゆるやかな坂を上った最後にあるのがこちら女川駅。

 

駅前では無料の足湯も楽しめます。

電車から降りてきた女性が自然と靴を脱いで足湯を楽しんでいた姿が印象的でした。

駅舎2階には温泉施設もあります。

 

女川駅3Fから女川湾を撮影。

メインストリートの構造がよくわかりますね。

海がみえる設計です。

以下,いくつか復興の街並みをみてみましょう。

 

女川駅から山側を撮影。

高いところに家が建っています。

 

こちらも同様。

 

新たな造成エリア。

一部完工しているのは災害公営住宅でしょうか。

 

このあたりは山間部を大規模に造成している途中です。

 

新しいマンションがいくつも建っています。

さきほど駅から撮影した山側の高台部分です。

 

こちらも駅からみた高台部分の住宅地。

きれいな住宅がすでに建ち並んでいます。

 

高台の住宅地から女川駅を望む。

 

浦宿駅に抜ける途中にみかけた建物群。

災害公営住宅でしょうか。

ここも既に完工していました。

 

復興に答えや正解・不正解を求めるのは簡単ではありません。

それぞれの立場や考えで全く違う回答があるでしょう。

ざっと報道記事を読んでも,復興のトップランナーと言われる女川の復興をうれしく思っている人も悲しく思っている人も,賛成も反対も,笑っている人も泣いている人もいます。

 

町をざっと周っただけの部外者に,女川の復興に対する意見を述べる資格も力もありませんが,それこそ「部外者」としては,女川の復興は,町をどうしたいと思っているのかはとてもわかりやすいと感じました。

 

また,メインストリートは再訪したいと自然に思うほど魅力的でした。

 

他方でそのメインストリートを観光していたときに,海抜表示や津波避難経路の看板に全く気付けなかったのは意外でした。

いま地震がきたらどこに逃げればいいのか,観光客としては不安を感じました。

 

また,もっと災害遺構,震災の承継と街づくりを連動させてもらいたい,という気持ちにもなりました。

なぜ大川小学校跡地には毎日たくさんの人が県外から訪問し,女川にはそれがないのか,という問題でもあります。

他意はありませんが,リトル軽井沢を求めて女川にくる人は多くないでしょう。

私は,田村さんご夫妻がそこで活動をされているから,つまり,会いたい人,学べる場所,学ぶべき人がここにある(いる)からこそ女川を訪問しています。

本来個人,しかも遺族のがんばりに任せきりでいいはずはありません。

10年後も30年後も100年後も,メッセージを伝え続けられる仕組みを町自体が作らなければなりません。

 

そして女川の復興が形として順調なのは,

・女川は5000~1万人規模のコンパクトな町であること

・原発の関係で資金に余力があること

・女川湾の恵み・観光資源があること

・町の産業がほぼ水産業に集中していること

・高台移転するための場所が存在したこと

少なくともこれらの要素によるところは少なくないと思います。

すべての町が女川のように復興できるわけではない,ということも認識する必要があります。

いずれにせよ,引き続き女川の復興に注目し続けていきたいと思っています。

 

平成30年5月訪問

静岡市清水区 弁護士 永野 海

 

 

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