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沼津市内浦重須地区の災害前の集団高台移転(事前復興)

以前、事前復興まちづくりでは、徳島県の美波町由岐地区を視察し、感想を以下にまとめました。
http://naganokai.com/bousainosahou/

 

今回、弁護士会沼津支部の先生方から、沼津市との災害協議会で、沼津市内浦の重須地区の高台移転問題について、沼津市から説明を受ける機会を得たとの情報をいただき、協議会に臨時で参加し、お話を聞いてきました。
災害が発生する前に、地区全体が高台移転をする防災は非常にハードルが高いです。

実際、災害前でも、国の防災集団移転促進事業の制度は使えるのですが、補助金を貰える前提があっても、高台移転の代償として、対象地域が災害危険区域に指定されますので住居として使用できなくなってしまいます。また、補助金がでるといっても建物の建設資金まででるわけではないので重い経済負担を伴います。
そうした中で、当初、この防集のプログラムで高台移転を目指した重須地区でしたが、当初は8割の住民の賛成があったものの、現実を知るにつけ、賛同者は減り、最終的に防集での移転は断念しました。この地区の津波想定は8.6mです(少なくとも15mの津波は想定すべきと個人的には思います)。
ただ、そこで諦めなかったのが静岡、あるいは重須地区。
農地(みかん畑)の土地区画整理の手法を用いたウルトラCで、高台にある農地の一部を宅地へ変更(造成)し、造成した土地を高台移転を希望する住民に売却する手法で、高台移転を最終的に希望した7世帯(地区全体は106世帯)を個別に高台移転させる形になりました。
東北の被災地でも、防集が制度上使いにくいために土地区画整理事情が活用されている実態があると思います。
事前復興(災害前の防災高台移転)で、土地区画整理事業が活用されたのはこの重須地区がはじめてなのではないでしょうか(違ったらごめんなさい)。

厳密には、ちょうど県がこの地区で行っていた高台の農道の整備事業(農地整備事業)に、住民の高台移転のための区画整理事業をドッキングさせた形です。
更に詳しくいえば、静岡県土地開発公社が住宅地となる非農用地取得者となり、平成30年度に開発行為等の手続をとったあと、平成31~32年度に移転住宅用地の造成整備、売却を行う流れになっています。
土地区画整理事業自体は、県の事業ですが、沼津市は、当初の住民協議会の段階から、話し合いに参加し、住民に寄り添い、また計画上必要となる市町村の役割である開発行為や土地利用の場面で、住民の高台移転に協力する姿勢をとってきました。

 

この土地区画整理事業の活用アイデアは静岡県からということですが、関係当事者が最後まで諦めず、知恵を出し合った結果の集大成が今回の7世帯の高台移転決定につながったともいえます。
ただ、防集と違って、住民の土地取得は無償ではありません。住民には、高台移転に伴い、土地代と造成費用の合計額の負担が伴います。

 

もちろん、費用負担を抑える知恵はだされているでしょうが、沼津市の関係者曰く、決して安価とはいえない(もともとが不便な高台の土地であることを考えれば尚更)とのこと。

住民には、造成費用が厳密にはまだだせないので、幅のある金額で土地取得費用を伝えた上で、移転の意思を決めてもらったようです。(幅のある金額提示では住民の意思決定も大変だったと想像できますが、それでも移転したいほど防災意識、命を守る意識が強かったみなさんなのでしょう)。
7世帯の属性は様々で、決して、若い世帯ばかりでもないようです。
また、住民の当初からの協議会には、終始、北海道大学の森傑教授が立ち会い、コーディネーターの役割を果たされたとのこと。この手の協議会では必須の役割だと思います。南海トラフのあとは、どれだけこうした場に弁護士が参加できるか、弁護士の器量も問われます。
協議会後、重須地区を尋ねました。

写真①が計画図。

この図の1工区(海抜60m以上の高台です)に7世帯が移転します。ここにある幹線農道というのはもともと静岡県が進めていた農地整備事業の対象農道です。周囲は全体にみかん畑でした。

 

写真②はその高台からみた重須地区。写真右側の内側に入り込んだ地区が重須地区です。

 


写真③は高台移転が移転されている付近にある中学校(写真左)です。中学校も高台にあります。

 

写真④がその中学校の南側に位置する高台移転場所周辺です。

写真⑤は重須地区に設置されていた津波避難タワーです。

帰りに、少し離れた狩野川放水路付近の住民の方に詳しくインタビューをしました。

その方はたまたまかもしれませんが、相当津波防災に意識が高い方でした。

この重須地区の高台移転について尋ねると、「金がなけりゃ移転できんわ」と一言。

津波防災については、裏の山(三島神社)に登る、その道が地震で崩れたときに備え別のルートも整備している。毎年9月には裏山に避難する訓練を必ずしている。東日本大震災のときは80cmの津波がきた、最初は引き波(その方の住宅は目の前が海です)で見たことがないような光景になった。

すぐに狩野川放水路のトンネルを超えて高いところに避難した。しばらく経ってトンネルを戻り自宅に帰ろうと思ったら、既に警察が立っていて通行止めになり自宅に戻れなくなったので(警察の判断は極めて正しいですが警察官自身が心配です)、親戚宅で過ごした。

高台に移転する金はないので、できる限りの最大限の避難(裏山への避難)を常に行うしかない。
など、極めてうれしくなるような意識の高いお話を聞くことができました。

永野 海

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