八ヶ岳の山体崩壊による岩屑なだれ(韮崎市)
20万年ほど前、当時3000mを優に超える高さがあったであろう八ヶ岳は、噴火活動の中で、日本最大規模の山体崩壊をおこしました。
量にして約100億㎥。磐梯山の山体崩壊量の10倍近くです。
崩れ落ちた山体は南側になだれ、現在の北杜市や韮山市、釜無川左岸に沿って、数十mの丘陵を残しました。
(写真奥が八ヶ岳、手前の丘陵全てが八ヶ岳の山体崩壊による岩屑なだれ堆積物)
山体を作っていた気が遠くなるほどの量の溶岩や凝灰角礫岩などが泥流となって運ばれ、山体崩壊の当時は、甲府盆地をこの山体崩壊の堆積物が覆い尽くしたものと思われます。
その後、河川により侵食され甲府あたりは丘陵はなくなり、この韮崎も西側は釜無川の流れに侵食され、美しい崖(露頭)を延々と作っています。
(韮崎市の穴山橋から撮影した八ヶ岳からの岩屑なだれ堆積物でできた丘陵)
この丘陵というか台地は、通称、七里岩(しちりいわ)と呼ばれています。
この岩屑なだれが堆積してできた台地が、長野県の富士見町付近からこのあたりまで約30km(昔でいう7里)に及んでいるため、この名称がつけられたそうです。
航空写真でみると、八ヶ岳の山体の一部が崩壊して、どのように南や南西側に押し寄せたのかわかりやすいですね。
地図のとおり、岩屑なだれ堆積物の地表の南端先端部は、東西の河川に浸食され、舌のような形状になっています。
これが「韮(ニラ)」のようにみえるので、韮崎市の地名の由来になったともされています。
2019年7月
弁護士 永野 海