長龍寺橋と書いてあります。

長崎市中心部からみると東側,山を越えたところにある長崎市矢上町にかかる何の変哲もない橋。

流れるのは,八郎川です。

とても穏やかで,水量も少ないですね。

 

長崎市との位置関係は,こんな感じ。

長崎市中心部の北東に位置します。

 

しかし,この八郎川が大洪水を起こしたときがありました。

昭和57年の長崎大水害です。

今年(平成29年)の九州北部豪雨に似た気象現象ですが,この年の7月10日から続いた長雨の影響で地盤が緩んだところに,記録的な豪雨が長崎を襲いました。

長崎市の北の長与町では,7月23日の1時間に187mmの雨量(日本の歴史上最高),また外海町では2時間に286mmの雨量(同じく最高)を観測しています。

長崎県のこの豪雨災害での死者行方不明者は299名,特に長崎市の被害が大きく262名もの犠牲者をだしました。

 

橋の反対側です。

普段の川をみていると,この川の大氾濫の姿はにわかには想像できません。

 

これが先ほどの橋のたもとから撮影した写真です。

閑静な住宅街のなかにある公園に,大きな石碑が設置されています。

 

長崎大水害の犠牲者を悼むために設置された水害碑です。

 

水害碑の右上が,先ほどの長龍寺橋。

 

 

石碑には,午後8時過ぎ,土石流により八郎川は流木と土砂で埋め尽くされあふれ出た濁流は,東長崎支所付近で推移250センチに達したことや,矢上地区の死者が34名に上り,大惨事から10年を機とし,矢上地区自治会がこの石碑を建立したことなどが記されています。

この左側には犠牲者の名が刻まれていました。

 

石碑の横には,この水害時の最高水位を標した石柱も建てられています。

 

水害碑のある公園から,さきほどの長龍寺橋方向を撮影したものです。

かなりの高さの堤防です。ここからでは川の流れは見えません。

この公園にまで川が溢れること自体も信じられません。

 

ましてや,この高さまで水位があったというのです。

大水害を経験しなかった世代の人間はとても信じられないと思います。

 

この川が・・・ですから。

 

ある文献では,長崎大水害の記憶が風化されつつあると警鐘を鳴らし,大水害後に設置された石碑などの設置物を網羅的に調査していました。

ある碑などは,草が生い茂り場所の発見も困難であったと書かれていました。

 

災害は残念ながら繰り返し発生します。

そこで1度発生した災害は,将来ほぼ間違いなく再度起きます。

30年後なら備えが残っているでしょうが,60年,100年後はどうでしょうか。

 

この矢上地区の自治会が(行政でないところがポイント),独自にこの石碑,それに水位を示す標柱を設置したことは大変な英断です。

この石碑をしっかり守り続けていけば,100年後の矢上町の住民も,どこまでの水害が発生する可能性があるのか,そのためにはどのような対策をとればよいかを考えることができます。

 

全国の自治会が参考にしてもらいたい取組みだと思いました。

 

     

おまけ。

これは,長崎市中心部の横断歩道沿いに設置された,同じく長崎大水害の水位を示す標柱です。

こちらも周囲の街並みからは想像もできない高さを示していました。

 

平成29年11月訪問

静岡市清水区 弁護士 永野 海