熊本地震の横ずれ断層と復興
熊本の益城町上陳(かみじん)地区です。
熊本地震では、震度7の激震がこの地域を襲いました。
直下型地震の痕跡が横ずれ断層として残っている場所でもあります。
この黄色いラインが熊本地震で動いた布田川断層。
布田川断層が動いたのは、平成28年4月16日の2回目の地震(本震)です。
マグニチュードは7.3。
フィリピン海プレートに押され、写真上側が右に2mずれました。
右横ずれ断層です。
痕跡は至るところに残っています。
これらの土砂崩れも痕跡の1つ。
今は一時的に畑になっていますが、ここは熊本地震時は田んぼ。
田んぼの畔(あぜ)が見事に2m横ずれしています。
横ずれした部分が見事に全て2mずれています。
断層のラインを可視化すると、たとえばこの部分であれば、
畔の横ずれ箇所から、ここに布田川断層が走っていたことがわかります。
上側が右側に2mずれました。
反対側からみると布田川断層のラインはこんな感じです。
断層の直上にあった電柱(写真右のほう)は地面の揺れで傾いたままです。
この断層に沿って畔(あぜ)がきれいにずれています。
写真奥は北東方向。
南西側は山に抜けています。
地震の影響で、写真上側のため池が地盤沈下しました。
そのため、ため池が写真下側の水路よりも低くなってしまい、雨が降ってもため池の水がうまく水路に流れず溢れてしまうようになりました。
そこで、水路全体を新たにため池が沈下した分だけ掘り下げて、なんとか水が流れるように改修されました。
改修された水路。
写真奥の倉庫は、2mずれた畔のすぐ横に建っていますが、この地震でもほとんど無傷でした。
断層は写真”手前”側が基本的に動いて、写真”奥”側はほとんど動いていなかったからです。
では動いた側の地盤の上の建物は全て全壊したかというと、そうでもありません。
水色部分が動いた布田川断層のイメージラインですが(ラインの右側が手前方向に動きました)、黄色で囲った家々の被害はあまりありませんでした。
他方で、断層から少し離れた写真奥の中央から左側にかけての家々は大きな被害を受けました。
全壊後、新たに平屋の家が再建されているのがわかります。
断層の近くに家屋があるといっても、断層のどちら側なのか、断層からの位置関係などで(地盤含め)、被害に大きな差が生じることがわかります。
たまたまこの田んぼの所有者であるお父さんから詳しくお話をお聞きすることができました。
お父さんによれば、曾祖父の代から、この写真の山のふもとには断層が走っていることは伝え聞いていた、とのことです。
調査によれば、このあたりは過去7000年間に3度の大地震に見舞われたようですが、しっかりと地震の記憶は伝承されていたんですね。
(断層観察用に設置されたトイレと臨時駐車スペース)
お父さんはこの集落の田んぼ15町のうち11町を所有しています。
震度7の激震でご自宅は全壊しました。
お父さんは豪邸が全壊となり、私も調査のため一昨年訪問させていただいた益城町のテクノ仮設に入られ、現在も仮設住宅に居住のままです。
仮設住宅の居所は、集落ごとになるべくまとまった形で設定されました。
現時点で、半数は自宅再建などにより仮設住宅をでられ、残る半分の世帯が仮設暮らしを継続しています。
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先ほどの写真にもありましたが、お父さんのご自宅の周囲には、既に平屋などの(←地震を考慮してです)の家が一部再建されていますが、町が計画している今後の自然災害時の円滑な避難のための道路拡幅工事などがまだ進んでおらず、お父さんの家はちょうど道路の拡幅にかかるためご自宅の再建をはじめられないのです。
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先日の熊本での日弁連災害全国協議会での宮定さんのお話でも、
避難所から仮設への転居をしてもその日のうちに人間関係ができた避難所に戻ってしまう
という話がありましたが、ここでもやはり同じような話があるようでした。
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避難所にいれば慰問はくるは情報はあるは人はいるはでやはり生きていられる側面があります。
しかし家族がいる人はともかく一人ぐらいで仮設や、また仮設から公営住宅はあまりに寂しい、不安になります。
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お父さんは米農家です。
農業に関してはご承知のとおりたくさんの支援制度があります。
田んぼの復旧は95%前後補助がでます。
情報提供もJA含めしっかりされます。
小屋の修復でも9割補助がでます。
ただし20年今後農家を続けることが条件です。
お父さんはお子さんもお孫さんもいるので問題ありませんが(すでに息子さんが継承しています)、後継者がいない場合、補助申請は難しい(申請しても一応20年続かなかったら補助金返納の告知もなされます)。
お父さんに関しては、震災後に外国人実習生なども迎え入れており、かなり復興に力強く踏み出している事例ですが、みながそういう復興ができるわけではありません。
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さて、この横ずれ断層(布田川断層)は、現在、災害遺構として天然記念物に指定する方向で文化庁が動いています。
田んぼとして再開することは指定とは矛盾しないようですが、補助などの話はないようです(ずれたままだと耕作にも不便だと嘆かれていましたが、それでもお父さんはこの断層や災害を後世に承継するため天然記念物への指定には賛成だとおっしゃられていました)。
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地震後は京大の先生が調査にこられ、ここが以前は川だったことや、液状化のような現象が起こった理由など様々なことを教えてもらった、と。
また、調査のため、お父さんの土地に700mのトレンチ調査をしているとのことでした。
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今回はたまたま断層観察の際に、所有者の方がいらっしゃり被災後の生活再建も含めた様々なお話をお聞きすることができたのは大変幸運でした。
被災地訪問では常に申し上げていることですが、被災後の景色だけをみていたのでは大切なことに気づけないことが多いです。
チャンスがあれば(ご迷惑にならない場合に限りますが)ぜひ地元の皆さんからお話を伺い、本当の話を心に刻んでいただければと思います。
平成31年3月
弁護士 永野 海