相模川まで到達した富士山の泥流(相模原市)
相模原市中央区にある田名向原遺跡公園です。
ここでは、2万年前の後期旧石器時代の住居跡が発見されています。
全体にこじんまりとした遺跡公園ですが、目的は旧石器時代の住居跡でも縄文時代の竪穴住居のレプリカでもなくて。
これです。
この場所に存在する地層の剥ぎ取り標本。
田名は相模川に面しています。
現在、相模川はここよりも低い場所を流れていますが、当時はここも河床でした。
一番下の礫層は、2万年前、この場所を相模川が流れていたことを示す段丘礫層。
田名原面と呼ばれます。
この礫層の上に濃い赤茶色をしている短い地層(ライン)は、富士山から流れてきた火山泥流の地層です。
礫層の上に富士山の泥流層、この順番を覚えておいてください。
この富士山の泥流層の上には、火山灰のローム層と河原からの砂が混じった地層があります。
河床が少し下がり、この場所が河原のすぐ近くの陸になったことがわかります。
だから、人が住めるようになり、この2万年前の旧石器時代、川に近いこの場所で人々が生活し、住居状遺構が発見されたのです。
その上の一番上の黄褐色の地層(この写真には写っていないので先程の全体写真をみてください)は、いわゆる関東ローム層です。
18000年前以降に富士山から降ってきた火山灰の地層です。
関東ローム層が堆積するということは、この地層の頃には、この場所が、川ではなく、完全に陸になっていたということになります。
江戸時代に各地で念仏を広めた僧である徳本が建てた念仏塔がある田名の山王坂。
ここである衝撃的な地層が見られます。
場所はここ。
かなり田名の住宅地は込み入っていますが、パン屋さんが目印になりやすいかも知れません。
この相模川の左岸はすべて相模原台地。
相模川が運んだ土砂による扇状地です。
まず山王坂の道路東側(相模川から遠いほう)の露頭を観察します。
礫層の上に薄い灰色の地層がありますね。
地層に含まれていた礫がはずれたような痕跡があります。
ここではかなり大きなサイズの玄武岩質の円礫が挟み込まれています。
下が相模川の段丘礫層(陽原礫層)。
その上が、富士山、正確には、現在の富士山の山体の中に隠れている「古富士山」の泥流の地層です。
地層全体は、陽原面(みなばらめん)と呼ばれます。
◇
相模原台地の河岸段丘を全体的にみると、この陽原面は、最下段にあたります。
(ちなみに中段は田名原面、その上が中津原面、最上段は相模原面)
この相模原台地は、相模川の左岸(東側)に拡がっており、多摩丘陵まで続いています。
河岸段丘は、時間の流れでは、下に下にできていきますので、下段の陽原面(1万5000年前)は、一番新しい段丘面ということになります(河岸段丘の層序はややこしいですよね)。
写真は、段丘礫層の上に泥流層。
古富士泥流層と呼ばれます。
地層の下の方にあるのはオカリナ!
ではなくて、地層を調べるためにサンプルを採取した跡です。
陽原礫層の下にあるこの部分の地層は基盤岩でしょうか。
比較的小さな礫が集まった礫層の上に、古富士泥流層が伸びています。
礫層の上に伸びる古富士泥流層。
この山王坂の西側露頭をみてみます。
灰色の古富士泥流層がいくつもの大きな円礫を挟み込んでいます。
これが何を表すか?
下の礫層部分は草が茂っていますが、泥流層は隙間がないので草が茂らず観察しやすいですね。
このあたりの古富士泥流層は、1.5万年前にできた段丘礫層のあとに、富士山から駆け下りてきた泥流を含む火砕流による地層です。
(富士相模川泥流の堆積学的特徴とその流下機構に関する考察/武原未佳ほかより引用)
この図がわかりやすいですが、富士山から流れたこの泥流は、猿橋の溶岩流と同様、桂川を流れたあと、相模川へと下ってきました。
富士山から大月ジャンクション付近まで40km流れてきた猿橋溶岩流もすごいですが、さらに相模川にまで達するこの泥流による壮大な旅のスケールには、言葉を失います。
しかも、どれだけ激しい火山泥流の流れだったかは、挟み込まれたこれらの巨礫から容易に想像できます。
2万年前とか1.5万年前の時代は、最終氷河期の時代です。
古富士山の山頂の氷河が噴火の熱でとけて水蒸気となって、これが火山灰や巨礫を巻き込みながら泥流(火砕流)となって谷を流れ下ったものと推察されています。
駆け下りた泥流の流れは、写真右から左です。
この地層の意味するところを知れば、とても恐ろしい痕跡であることがわかいます。
山王坂の道路両面にみえる円礫を含む古富士泥流層。
現在の相模川は、山王坂より低地を流れています。
段丘崖になっているわけです。
相模原市民の皆さんは、この場所に、かつて富士山からの泥流(火砕流)が何度も流れ込んでいたことなどほとんどご存知ないかも知れません。
ぜひ身近にあるところから自然の痕跡を知り、自然災害との正しい距離感で、災害に備える意識を持ち続けていただければと思います。
平成30年11月
弁護士 永野 海