静岡市清水区蒲原にあるみはらし公園です。

富士川の西岸にあるきれいな公園です。

 

ここには、1つの石碑があります。公園の完成の碑で、完成までの経緯などが書かれているんですが、

 

なかに書かれてある文章をよく読むと、

 

このあたりに、地震山下 という地名がかつて存在したことが記されています。

地震山の下、という意味ですね。

 

(過去に学ぶ〜富士の災害史」概要版富士市教育委員会から引用)

非常にみにくくて申し訳ありませんが、古い蒲原の地図には、蒲原地震山という表記があります。これが何なのかというと、

 

1854年の安政東海地震(南海トラフ地震)が起こるまでは、富士川はいまより西側を流れていて、この地図に書き込んだあたりを流れていたんですね。

(仙台の尊敬する宇都先生の真似をしてiPad Proを導入したら写真加工が簡単になりました(笑))

 

それが、安政東海地震によって富士川の河口西側が全体的に隆起し、地震山と評されるほどになり、富士川の流れが現在の東側に変わったんですね。

 

その隆起した土地の一部が現在のみはらし公園です。

産業技術総合研究所の2015年の発表によれば、隆起した土地の面積は、南北では、東名高速道路の富士川SAから駿河湾まで、東西は東名高速の蒲原トンネルの中ほどから現在の富士川西岸までという広大なものではないかと推定しています。

 

そこからするとこの程度の範囲が全体に隆起したことになります。他方で富士川の東岸は沈降し洪水被害などが増加したとの話もあります。

地震で土地が隆起し富士川の流れが東に移り、耕作面積が増えた蒲原では、農民の間で、「地震さん地震さん、わたしの代にもう一度、孫子の代には二度も三度も」という戯れ歌が歌われたという伝承もあります(中部災害アーカイブスより)。

 

富士川西岸がこれだけ隆起したということは、安政東海地震の際に駿河トラフだけでなく富士川断層も連動して動いたことや、地震規模の大きさを示す証左でもあります。

 

富士山は今日も美しい姿をみせてくれていますが、この富士川西岸の土地の隆起から、この地で発生する災害規模の大きさを感じ取っていただければと思います。

平成29年12月訪問

静岡市清水区 弁護士 永野海