前回に引き続き富士山の噴火史について。

 

富士山の噴火といえば、864年から約2年続いた貞観の大噴火です。

溶岩など噴出物の総量は14億m3。1707年の宝永噴火の約2倍にも及びます。

この時に流出した溶岩は青木ヶ原溶岩と呼ばれますが、富士山の北側に当時存在した「剗の海」(せのうみ)の大半を埋め尽くしました。

 

当時の「せの海」はこんな感じでした。

 

これが貞観大噴火による青木ヶ原溶岩の大量流入により、辛うじて「せの海」の西端と東端が残るのみになります。西端は精進湖、東端は西湖となりました。

青木ヶ原溶岩は、富士山北西部の本栖湖の東側にも流入しています。

 

その痕跡はいまでも明確に観察することができます。本栖湖に行かれた際には、湖岸から、「ああ湖か」と思うだけでなく、少し溶岩の上を歩いて進み、溶岩と富士山とのコラボの光景を観察して、当時の大噴火の様子を想像してみてください。

 

「湖=きれいだけどそれだけの場所?」という先入観から一歩進めるかも知れません。

 

青木ヶ原溶岩の流入を観察できるのはもちろん西湖、精進湖も同様です。

 

西湖の富士山側の岸をみてみましょう。少しわかりにくいですが、富士山側の岸は青木ヶ原溶岩により構成されています。

 

また、精進湖は、航空写真から。青木ヶ原溶岩により半島状の地形まで形成されています。

精進湖が辛うじて消滅の危機から脱したことが生々しくわかります。

 

そして、名前からわかるとおり、かつての「せの海」の大半を埋め尽くした青木ヶ原溶岩の上は、現在は、青木ヶ原の有名な樹海になっています。

青木ヶ原樹海では方位磁石がきかず迷子になる、というような話は多くの子どもらも聞く話です。確かに、溶岩には磁石に影響を及ぼす成分は含まれていますが、方位磁石を狂わすほどではありませんのでご心配なく。

 

(本栖湖からの富士山)

西湖、精進湖、本栖湖、その歴史的経過を知らなければ、単なる富士五湖。単なる湖の観光で終わってしまいます。

富士山がみえない日ならなおさら「単なる湖」でしょう。

 

しかし、貞観の大噴火が起こる前にどれほど大きな湖がここに存在したか、それが貞観噴火によってほとんど消失し、辛うじて西湖と精進湖が残ったこと、その跡が青木ヶ原の広大な樹海であることを知れば、もう少し違った風景に見えてくると思います。

 

ぜひ本栖湖を中心とした青木ヶ原溶岩の痕跡を観察することで、貞観噴火の規模、富士山の噴火災害について改めて想像する機会にしてみてください。

平成29年12月訪問

静岡市清水区 弁護士 永野海