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一夜城からみるプレート境界(小田原市)

神奈川県小田原市早川にある石垣山一夜城(太閤一夜城)です。

 

豊臣秀吉が小田原攻めを行った際、小田原城からみえるこの石垣山(当時は笠懸山)を本陣として、わずか80日ほどで総石垣の城を築きました。

自然石を加工せずそのまま積み上げた野面積みの石垣で、相当な突貫工事にもかかわらず現在まで残っており、当時の高い技術が伺えます。

とはいえ延べ4万人が築城に動員されたといわれています・・・。

 

  

秀吉は、突貫工事で堀や櫓の骨組みを整えたあと、そこに白紙を貼りました。

その上で、一気に小田原城側の樹木を伐採し、あたかも一夜にして笠懸山に本格的な城ができたかのように、小田原城内の北條軍を錯覚させ、士気を低下させたといわれています。

 

 

しかし、残念ながら、この日は生憎の天候で、小田原市街方面は霧の中。

 

 

本来ならこうみえた(逆にいうと小田原城からもみえた)らしいですが、ここは歴史探訪のページではなく、地学のページ。

 

 

ご紹介したいのは、石垣山からみえるこちらの景観。

 

 

ここ小田原市は、大陸の北米プレートと海のフィリピン海プレートのプレート境界なんです。

フィリピン海プレートに押され、定期的に大地震が発生し大磯丘陵が大きく隆起し、逆断層地形を生じています。

 

 

地震により隆起した断層崖ですから、直線的地形になります。

 

 

国府津ー松田断層と、相模トラフは、直線上につながっています。

 

 

国府津ー松田断層は、プレート境界の大断層です。

大磯丘陵は、15万年ほど前から断層活動(地震)により急激な隆起をはじめた、といわれています。

おおよそ3000年ごとにマグニチュード8(±0.5)の地震が発生。

一度の変位量は、最大10mにも及ぶとされています。

10m!!!

 

 

フィリピン海プレートは写真右上の相模湾にある相模トラフから北米プレートに潜り込んでいます(ただし他説あり)。

そのため、南海トラフ地震と同様、定期的にM8クラスの海溝型地震を発生させ、それによる大きな津波を引き起こしています。

 

 

関東大震災もそのメカニズムにより発生した地震です。

人口(そのため被害も)が多いため東京の被害が大きく取りざたされますが、最大震度はこの小田原付近です。

推定震度は7とされています。

相模トラフとともにこの国府津ー松田断層が動くとさらにこの付近の被害は甚大なものとなるでしょう。

その構図は、駿河トラフと富士川断層との関係にも似ていますね。

小田原周辺の皆様は、そこにどうして大磯丘陵があるのか正しく知っていただいた上で、定期的に訪れる大きな地震に備える行動につなげていただければと思います。

 

令和元年5月

弁護士 永野 海

 

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