徳島の中央構造線が作る地形(三好市)
日本列島の地層や岩盤を貫く中央構造線。
もともとこの大断層が生まれたのは、日本列島がまだアジア大陸の東端にあった1億年前です。
このとき中央構造線(断層)が動いた、つまり直下型地震が起こっていた原因は、当時の海のプレートであるイザナギプレートが、大陸のプレートに対して北向きに押していたことによります。
イザナギプレートの押す力に耐えきれず、ユーラシアプレートの一部が左横ずれに動きました。これが中央構造線の誕生の瞬間です。
その後、この中央構造線という大陸の切れ目、傷口を抱えたまま、アジア大陸の東端が動きはじめ、いまの日本列島の場所まで移動してきました。
これが1500万年ほど前の話。
四国から紀伊半島を貫く中央構造線の一直線のラインは、衛星画像でもはっきりわかります。
現在のようにフィリピン海プレートが、四国をのせるユーラシアプレートを北西方向に押してくる時代になると、またこの古傷たる中央構造線が動き出します。
海のプレートにぐいぐいと押され、耐えきれずに動いてしまう、つまり直下型地震を起こすのは、地層、岩盤の弱いところです。
まさに中央構造線がそれにあたるわけです。
徳島県三好市池田(池田高校で有名)は、中央構造線が作り出す地形として有名です。
このように中央構造線に沿って、一直線に山地が続いています。
断層としての中央構造線が動く度に、断層の北側が隆起し、こうした山地が形成されています。
現在の中央構造線は、右横ずれの逆断層(断層の手前からみて奥が右にずれる)です。
断層が何度も動くと、摩擦によりその周辺の岩石は破砕され、破砕帯と呼ばれるもろい地層が広がります。
その脆い地層は侵食されやすいので、そこを河川が浸食し、吉野川(紀伊半島では紀の川)による一直線の谷地形が作られています。
三好市から中央構造線を東に辿ると東みよし町に。
ここでは、ちょうど道の駅の真下に、中央構造線の露頭がみられます。
しかし、ご覧の写真のとおり、破砕された岩石といわれても、これでは一般の人にはよくわからないでしょう(苦笑)
この図でわかるでしょうか。
吉野川は、四国を南から北へと南北に流れていました。
しかし、繰り返される中央構造線の活動で、動くたびに右横ずれが生じ、かつての流路は現在の32号線の位置まで移動してしまっているように見えます。
また、中央構造線が動くたびに、北側が隆起し、山地が生まれたことで、吉野川は北への流路を遮られ、現在は山地に沿って東側に流路を変え、徳島の市街地に抜けています。
四国を旅されることがあれば、ぜひこの中央構造線を意識しながら山並みをみてもらえればと思います。
令和2年1月
弁護士永野 海