浜岡原発周辺の地層、断層を学ぼう
わたしの(勝手な)地学の師にして、工学博士として台湾の断層発見により台湾の原発計画中止に貢献。またあるときは、静岡市内で糸魚川静岡構造線の巨大露頭を発見し静岡新聞一面を独占した塩坂邦雄先生。
塩坂先生恒例の地学巡検ツアーにまた参加してきました。
今回は、浜岡原発周辺の地層、断層の解説ツアーです。
いざ、御前崎へ。
御前崎は、高知県の室戸岬と同じで、海洋プレートの圧力や、海溝型地震の影響が顕著にみられる場所です。
典型的な海岸段丘地形。
こうした海岸段丘は、海溝型地震(いまなら南海トラフ地震)が起きる度に1m,1.5mと地面が隆起し続けた結果、こんなにも隆起してしまった姿です。
海岸段丘の存在 → 海溝型地震の影響を受ける場所
という推認が働きます。
この時点で、個人的には、原発の立地としてどうなのか、という素人的直感が働きます。
これは中部電力が作成した御前崎の地質平面図。
南北方向に何本も線が入っています。
ここでの線は、御前崎がプレートの動きによって東西方向に圧縮されてできる褶曲(しゅうきょく ←波打つような地殻変動)の軸(盛り上がった部分、くぼんだ部分)のラインを示しているのですが、
こうしたプレートの動きによって御前崎の地形が圧力を受ける構造、
つまり、
南にあるフィリピン海プレートが南海トラフでユーラシアプレートの下に毎日せっせと潜り込んで生じる圧力構造によって、御前崎には、南北方向に何本も「断層」も走っています。
(日本原子力研究開発機構の作成図から引用)
そもそも、褶曲構造と断層は、どちらも、プレートの動きによる地面の圧縮に関係するもので、密接な関係があります。
地層が圧力を受けた場合、柔らかい地層であれば切れずに(断層にならずに)ぐにゃっと褶曲し、逆に硬い岩盤の地層であればぐにゃっと褶曲することができず、ある瞬間に耐えきれなくなったときに破壊され断層になったりします。
地層は下から上に堆積していきますので、下の方の古くて硬い地層は断層になり、上の方の柔らかい地層は褶曲する、ということだって起こり得るのです。
とにかく、褶曲と断層は、ある種、仲間のようなものです。
(同じく中部電力作成資料から引用)
さきほどの大地の褶曲、うねうねと大地が波打っている地形的特徴を示した断面図です。
波打った凸の部分を背斜(はいしゃ)、凹の部分を向斜(こうしゃ)といいます。
(産業技術総合研究所作成図を引用)
これも海洋プレートに押された圧力でうねっているのです。
そんなこんなで、御前崎は海のプレートの圧力(南北の断層、背斜向斜)や、海溝型地震の影響(土地の隆起、海岸段丘)を強く示す地形です。
さて、塩坂先生ご案内場所、1つめ。
干潮時の御前崎の隆起波食台。
宮崎の鬼の洗濯板(岩)と同じです。
*隆起:海溝型地震(南海トラフ地震等)によって地震の度に隆起してきています
場所はこのあたり。
先程、褶曲における、背斜、向斜の図をみてもらいましたが、(下手な絵ですみませんが)、褶曲の角度の変化がよくわかります。
先日ご紹介した三浦半島の「城ヶ島」でも同じような向斜、背斜する波食台を観察できました。
もともとは海の底にあったこれらの地層が、地震によって隆起してこの場所にきています。
地震や海底地すべりなどでできた砂岩と泥岩の互層の地層が延々と続いていて壮観です。
*1回の海底地すべりなどで1つの砂岩と泥岩のワンセットが生まれます。水槽の水をかき回すと、水の中で粒の大きな砂が下にたまり粒の小さな泥が上にたまるのと同じ
ここで海に向かって南北に走る線は全て断層です。こうした波食台は表面を遮るものがないため、地層の観察にとても適しています。
そして、このあたりまでくると、先程の、褶曲の角度でいえば、(さきほどはかなり曲がっているラインでしたが)、ここは海に向かってほとんど平行です。
この写真のほうがわかりやすいでしょうか。
陸のラインと比較して平行で、奥の灯台方向に向かって傾斜がついていますね。
曲がる角度の緩いこのあたりを見ていることになります。
そして、ここなどは断層の線が水路のように大きく広がっていますね。1.2mほどあります。
ここはいわゆる断層の破砕帯(はさいたい)。
断層運動が生じた際、擦れあって断層周囲の地層や岩盤が破砕されます。
破砕されるとその部分の地層や岩盤は弱くなり、侵食されやすくなるため削られこうした水路状になっているのです。
そして、実際水が陸側から流れています。これは湧水。
わかりにくいですが、写真右(陸)から、左(海)に向かって水の流れがあります。
この下には水を通さない泥岩層があるので、その上のこの場所が湧き水の出口になっているんです(そして、断層というのはまさに湧水の通り道です)。
ここなどはXの形、2つの方向の断層が交差しています。
これを共役断層(きょうやくだんそう)といいます。
こちらは東西方向の断層。
中電が「H断層」と読んでいる断層です。
これは海底地すべりによって生じたものです。
海底地すべりによって生じたため、滑った写真右側の地層の方が、左側よりも、傾斜が深くなっています。
ちなみに、中電は、東西方向の断層は海底地すべりによる(比較的)安全なものだとわかっているために、この東西方向の断層にフォーカスするような書類を多く作成しているそうです。
この写真では少しわかりにくくて申し訳ありませんが、この東西の断層の左側の地層は、地面の水平レベルに対してわずかな傾きしかない一方で、断層の右側の地層は、傾きが大きくなっています(空に向かって口をあけるような形)。
地すべりでこの断層を境に右側の地層が落ちて、その落ち込んだ際に地層が傾いたんですね。
しかし、大事なのはここにみられる南北方向の断層です。
これが陸上までずっとつながっています。
ここをみてください。
東西方向のH断層がクランクになって切断されています。
南北方向の断層の動きによって切断されたものと考えられます(断層の奥側が左にずれているので左横ずれ断層です)。
少なくとも、この東西方向のH断層ができた「より後」に、南北断層の動きが生じたことがわかります。
南北方向の断層は、浜岡原発の直下にも存在するものであるため(後述)、南北方向の断層がこの10万年以内に動いた活断層であるかどうかが非常に重要なポイントになるのです。
さて、次に場所を移動して御前崎中学校周辺。
茶畑の中央が手前より低くなっているのがわかります。
(写真奥が西、手前が東)
これは白羽断層、写真手前の東側から奥の西側に向けて落ち込んでいる正断層です。
写真手前の道路の高いところから、写真奥の茶畑のくぼみのあたり(道路の低いところ)にかけて下り坂になっていますね。
一番高いところからは6mほど落ち込んでいますが、これは白羽断層(西落ちの正断層)によるものです。
それだけ地殻変動が激しい場所ということです。
この白羽断層も、南北方向の断層です(写真左が南、写真右が北)。
正断層で西側が落ちていることにより、学校に沿って高さ数mの崖が延々と続いています。
これは断層運動によって生じた断層崖です。
断層崖の裏の茶畑の下の地層をみてみましょう。
数百万年前の相良層の上に、大きな石ころから成る礫層(れきそう)がみられます。
この礫(れき)は、丸ではなく、平べったい扁平の形をしています。
ちなみに、こうした形の礫は、川の流れで侵食されたのではなく(川の流れの場合には丸っぽくなります)、海岸で寄せては返す波の動きで侵食され平べったくなった海成(かいせい)の石(砂岩)だということがわかります。
また、そもそも礫といのは、粒子が大きく重いわけですから、川(基本的に大井川)から流れてきて海の遠くまではいけません。海岸付近にとどまりますので、このあたりが昔(陸から離れた場所ではなく)海岸付近だったこともわかります。
石ころは、常に、「僕はここで生まれて、ここで育ったんだよ」というメッセージを私達に与えてくれますね。
この御前崎の礫層は6万年前の地層。
大きな石(礫、れき)がたくさんみられますね。
この10万年以内の新しい地層が、断層によって切られているということがわかれば、当該断層が、いわゆる活断層だといえるわけです。
次に訪れたのは、こちら。
ここは道路の両サイド(写真左が北、写真右が南)に、断層の露頭がみられる場所です。
明確な逆断層地形がみられます。
これは道路の北側。
こんな感じでしょうか。
断層の左側が乗り上げている逆断層です。
こちらは道路の南側。
地層自体は砂岩と泥岩の互層です。
(直線部の層が砂岩層、破線部の層が泥岩層)
冒頭の海岸の波食台の砂岩泥岩互層(タービダイトといいます)と比べると、泥岩層が厚く、砂岩と泥岩の厚さが同じぐらいになっていますね。
この写真でみると、一列にならぶ砂岩層と泥岩層のしましま模様が美しいですね。
しかし、この整然とした地層も・・・
断層によって切られてしまっています。
わかりにくいですが、この青線のように、南北方向の逆断層が貫いているわけです。
(写真左が北、右が南です)
そして、この断層が続いている先は(写真右側の延長線は)・・・
浜岡原発3号機、ということに残念ながらなりそうです。
星マーク=断層があった場所
赤線=断層が走っていると思われる方向
この砂岩泥岩の地層自体は古い地層なので、今後、この断層が新しい地層を切っている様子、すなわち活断層である様子がわかる写真が提供される日も近いでしょう。
その後、塩坂先生発見にかかる極めて重要な断層のご案内をいただきましたが、こちらは今後メディア発表予定のため今回はまだご案内できません。
COMING SOON
ということでご容赦ください。
途中、美味しいカレー屋さんで地学談義、塩坂先生の講義を。^^
午後の最後は、塩坂先生が山をかきわけて探し出された火山灰層の巡検。
御前崎市比木公民館近くの山です。
火山灰の層というのは、地学では、鍵層(かぎそう)といって極めて重要です。
火山灰層の成分を分析すると、それがどの時代の(どの)火山から噴火したのか、わかる場合があります(大抵わかるものなのかな?)。
そうすると、その火山灰の地層が形成された年代が特定できるわけです。
これが鍵層です。
教科書でも習う関東ローム層と同じ茶褐色(オレンジ色)で、いかにも火山灰層という感じ。
茶褐色の美しい火山灰層の下にあるのは、京松原砂層、その上は礫層です。
塩坂先生がこの火山灰層に注目するのは、この(本来地層なので同じ水平レベルで存在するはずの)火山灰層に変異があることを発見すれば、浜岡原発の安全性判断に大いに影響する活断層の発見などにつながるからです。
今後の塩坂先生の調査から目が離せませんね。
皆さん、お疲れさまでした。
とても学びの多い楽しいツアーでしたね。
平成30年6月 訪問
弁護士 永野 海