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富士川断層の真相に迫る塩坂先生巡検ツアー(3) 完結編

さて、富士川断層巡検ツアーも最終回。

今度は、「人」型の大淵溶岩からさらに富士川断層を北上してみましょう。

 

富士川の左岸(東側)には、雁堤(かりがねづつみ)という、江戸時代に建造された大規模な堤防があります。

昔、経済学で学んだアジア経済の雁行型(がんこうがた)発展モデルを思い出しますが、雁が群れで飛ぶときのVやWのような形に堤防を作ることで、強い川の流れを緩和させる効果があります。

 

図の茶色い部分が、Wっぽい形状になっていますね。

ここで富士川の流れを吸収し、堤防の決壊が生じないように工夫しているわけです。

 

それはそうと、この雁堤の付近では富士川断層が横ずれをした痕跡をみつけることができます。

 

(塩坂先生資料から引用)

上の写真右の地図のように、雁堤の先端部を切るように富士川断層が走っています。

安政の東海地震で3m程度左横ずれをした関係で、写真のように水路とそれに沿った道と柵も横ずれしているのがわかります。

 

こちらはその少し先。

ここでも横ずれによって奥の道路が左側にずれているのがわかります。

 

こんな風に書くとわかりやすいでしょうか。

 

この雁堤の先端部を切る抜く富士川断層を岩本山からみるとこんなイメージでしょうか。

 

今度は、富士川断層を北に追って、写真奥の星山丘陵に向かいましょう。

星山丘陵もとても面白い存在なのですがそれはまた別の機会に・・・

 

次に岩本山団地付近で、谷地形を富士川断層が動かしてしまった痕跡地を訪問しました。

私の写真ではうまく表現できそうもないので塩坂先生資料をじっくりご覧ください(笑)

横ずれによってAの谷地形とBの谷地形がずれてしまいました。

丹那断層の横ずれで川が分断されたのと同じような現象です。

http://naganokai.com/tannnadansou/(丹那断層)

 

こんなイメージでしょうか。

実際に谷筋まで降りていかないと五感で理解するのは難しいかもしれません。

以上、いくつかの地点で、富士川断層の存在を感じることができたと思います。

 

今回の南海トラフ地震(東海地震)と連動、あるいは一体として起こる横ずれの富士川断層説から導き出される重要なことは次の事実です。

南海トラフ地震が起こった時にはこの富士川断層に沿って相当北側まで震度7の強震に見舞われる

ということです。

あくまで仮説ですから実際に次の南海トラフ地震が起きてみないとこの仮説が正しかったのかどうなのかを実際に知ることはできないわけですが、上記の重要なポイントを念頭に起き、この富士川断層沿いの防災対策を行う必要があります。

以下、おまけ。

 

富士川断層より西側の蒲原丘陵にある善福寺断層の露頭です。

火山の安山岩の地層と蒲原の礫岩の地層を切る横ずれ断層です。

 

善福寺断層には産業技術総合研究所により断層の地下内部に変位計が埋め込まれています。

地震がきたらすぐわかるように。

幸いにもこの1万年の間には善福寺断層は動いていませんが。

 

 

断層を観察する参加者と説明をする塩坂先生。

 

写真左が安山岩の地層、写真右側は破砕帯、一部右端あたりに礫岩層が含まれているかもしれません。

 

写真の粘土色の部分は断層粘土にみえました。

 

塩坂先生によると、こうした断層面のこうした削れ面は、何度も横ずれ断層が起きた場合にみられる特徴だということでした。

 

これでおしまいです。

巡検ツアーに参加された皆様、朝から夕方まで大変お疲れさまでした。

 

平成30年7月 弁護士 永野 海

 

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