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江間の工事露頭調査(伊豆の国市)

塩坂先生が見つけられた工事露頭の調査に行ってきました。

写真左から静岡大学教育学部地学教室の松本仁美先生、静岡大学名誉教授の狩野謙一先生、お馴染み塩坂先生、伊豆半島ジオパーク推進協議会の鈴木雄介さん、そして私。

 

狩野先生といえば、私が地学、というか地球に興味を持ち始めた最初期に訪れた糸魚川静岡構造線の新倉露頭で、説明看板に名前があった先生です。

わずか1年半ほどで露頭調査でご一緒できるとは、人生とは面白いものだと思います。

 

いくつもの断層によって切られているようにみえるこの江間の露頭。

いつごろの時代の地層で、どのようなメカニズムでこうした表情をみせるようになったのでしょうか。

 

自治体、工事業者さんの協力も得て、調査開始です。

 

2回目の現地調査となる塩坂先生から露頭の説明がなされます。

 

みなさん思い思いに調査をされています。

 

伊豆半島ジオパークの鈴木さんによると、白浜層群の地層とのこと。

 

白浜層群というのは、伊豆半島が北上により日本列島に衝突する前の時代の伊豆周辺に堆積した地層です。

1000万年前から200万年前という頃の時代。

 

(火山岩が破片になった火砕岩の地層が階段状になっています)

この時代は、今の伊豆半島周辺は浅い海になっていました。

その中にたくさんの海底火山が生まれ、火山島がいくつもありました。

 

そのためこの地層もそうした海底火山や火山島の活動が活発だった時期に、浅い海で堆積した地層ではないかとのことでした。

 

当時のこのあたりの海が浅かった証拠として、このような扁平の礫が地層中にいくつも見られました。

浅瀬の海で潮の流れで侵食され、こうした扁平の石が生まれます。

 

下の凝灰岩の地層と、火砕岩の地層の境界面。

凝灰岩の地層は、流紋岩質でしょうか。全体に白っぽいです。

 

地層中には火山活動により生まれた軽石も含まれています。

写真中央の白い礫が軽石です。

 

さて、この火砕岩の地層を切った原因は何なのでしょうか。

 

狩野先生が指差す先をみると・・・

 

鏡肌上の断層面(すべり面)がみえています。

よくみると・・・

 

写真のねじり鎌の刃先と同じ方向に、すべり面に線(写真左上から右下の方向)がいくつものついていると思います。

条線といって、この方向に断層、すべり面が動いたことがわかります。

 

(このあたりは逆断層のような角度にも見える・・・)

この条線の存在から、地層を切っているのは、逆断層ではなく、地殻変動によりずれ落ちた正断層や地すべり痕跡?

塩坂先生によると、断層の走行N10E 傾斜W80ほぼ南北の正断層とのことでした。

 

この地層は様々なことを教えてくれます。この写真をみると、火砕岩の地層は見事に切られていますが、その上の凝灰岩の肌色の地層はきれずに、うねうねっと撓曲(とうきょく)しています。

このことから、上の凝灰岩の地層は、まだ完全には固まっていない、未固結の状態のときにこの地層が動いたため、その部分の地層の柔軟性により「切断」ではなく「撓曲」に留まったことがわかります。

 

写真中央上部付近をみると、かなりカオスの状態で撓曲していることがわかります。

 

このあたりなどは、凝灰岩の地層が、砂泥互層のように積み重なっています。

岩石が海底土石流や地すべり洪水などで流されてくると、粒子の大きいものは下に、粒子の小さいものは上に堆積します。

粒子の大きなものが固まったところは固まって厚さがあり、侵食にも比較的強くよく残るため、こうした地層になります。

 

 

その地層もよくみると、写真のようにクロスに交差しています。

斜交層理(しゃこうそうり)といいます。

単層の厚さが1センチ以上ある斜交した層理を斜交層理(クロスベッド)といい、それ以下のものは斜交葉理(クロスラミナ)と呼ばれています。

 

(地層がクロスしています)

これは水流や風によって運ばれた砂粒が移動した方向に傾斜するために作られるものです。

この地層でいえば、浅い海底での寄せてはかえす水流の影響で作られたものでしょうか。

 

ちなみにこの地層の切り通しの反対側はこのようになっています。

火砕岩の地層部分は既に道路の上になってみられないのが残念です。

 

そして、この写真上の火砕岩の地層ですが、よくみると・・・

 

丸っぽい火山岩(玄武岩?)が多いことに気が付きます。

 

何かに似てる・・・枕状溶岩???

 

枕状溶岩とは、玄武岩質の溶岩が水中に噴出し急速に冷やされたときに、独特の枕状、あるいは俵状の形になる現象です。

 

塩坂先生も松本先生も、枕状溶岩っぽいなあ、とつぶやかれていました。

この場所で枕状溶岩が生まれたのか、近くの場所での海底火山などの噴火により生まれた枕状溶岩がその後何らかの事情(たとえば海底土石流)で流されて、この火砕岩の地層が生まれたのかはこれだけではわからないと思いますが。

 

この枕状溶岩っぽい火山岩を拡大してみてみると・・・

 

ねじり鎌の先端、岩石の外側部分が2cmほど色が変わっているのがわかります。

枕状溶岩は急冷されたときに岩石の表面だけがガラス質になりますので、その関係でここだけ色が変わっているのでしょうか。

また、塩坂先生によると、この枕状溶岩の間を埋めているマトリックスが泥岩であったことから、海底土石流が発生したものと推察できるとのことでした。

 

この露頭は残念ながら来月には被覆されてしまいますが今回の調査により様々なことがわかりました。

・白浜層群の地層であること(1000万年前~200万年前頃の地層)

・伊豆半島衝突前の、いまよりはもう少し南側の場所で生まれた地層で、火山島の周囲などの浅い海に堆積した地層である可能性があること

・地層は軽石を含む流紋岩質の凝灰岩の地層や、火砕岩の地層などからなり、火砕岩の地層には多数の枕状溶岩と思われるような玄武岩が含まれており、活発な海底での火山活動が近くで行われていたことが推測されること

・地層の切断は地殻変動による正断層、あるいは海底地すべりにより形成された可能性が高いこと

・その際、火砕岩の上部の凝灰岩の地層は未固結であったために(陸上の地層だった?)地層が滑った際にも切断されず褶曲にとどまっていること

 

今の伊豆半島周辺で数百万年前にどのような地球の活動が行われていたのか、ロマンが広がる調査でした。

塩坂先生、狩野先生、松本先生、伊豆半島ジオパークの鈴木さん、大変勉強になりました。

ありがとうございます。

平成31年3月

弁護士 永野 海

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