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愛鷹山の板状節理(長泉町)

これは何でしょうか?

板状節理(ばんじょうせつり)と呼ばれる岩石の割れ目です。

その名の通り、板のような形。

これがみられるのは愛鷹山(あしたかやま)です。

 

愛鷹山が大火山だというイメージをどれだけの人が持っているかわかりませんが、この地質図を見てください。

少なからぬ人がこの赤い点のところが「富士山」だと思うのではないでしょうか?

いえいえ、これが愛鷹山(愛鷹火山)。

 

沼津市原あたりからの愛鷹山。

東西に長い立派な裾野がみてとれます。

 

カインズ沼津店屋上からの愛鷹山。

山体崩壊や侵食がされていなければさぞ立派な姿だったと思わされます。

 

 

 

このように両サイドの裾野が本当になだらかで雄大です。

 

 

愛鷹火山は40万年前から噴火をはじめた、先ほどの地質図の形どおりの(本来)美しい成層火山なわけです。

 

 

登山道の入り口である愛鷹水神社(すいじんじゃ)の手前にある堂々たる板状節理をみながら、少し、愛鷹火山の説明を続けます。

 

 

 

日本海の拡大と伊豆弧の衝突(友隣新書)によると、富士山よりずいぶん古い、40万年前から35万年前にかけて、まず薄い玄武岩から玄武岩質安山岩の溶岩などからなる中型の成層火山が作られました。

愛鷹山があるフィリピン海プレートの下に潜り込んでいる太平洋プレートが作り出したマグマの活動による火山です。

火山の成因は富士山と同じ。

 

 

その後10万年ほど火山活動を休憩したあと、25万年前から再び活動しはじめ、今度はデイサイト質の溶岩を噴出しました。

 

 

その後また火山活動は静かになりこの間に山体崩壊や山の侵食がかなり進み、これによって麓に幅広く火山性の扇状地が作られました。

人々がこのあたりで集落を築けた基盤ですね。いまの沼津市や長泉町、富士市側もそうですね。

 

 

火山性扇状地、航空写真でみるとよくわかります。

愛鷹山麓の愛鷹運動公園から長泉町にかけて数多くの後期旧石器時代の遺跡が発見されていますが、この火山性扇状地のおかげです。

人類における、自然災害と自然の恵みの表裏一体がここにもあらわれています。

 

 

さて、15万年前から13万年前には、最初に玄武岩溶岩が流れ、その後分厚い安山岩の溶岩流や火砕流が流れ小規模な成層火山が再び作られました。

 

 

(安山岩の岩体の途中から板状節理に変化)

このとき流れた安山岩の溶岩や火砕流は、今回登る位牌岳から東側の山腹に流れました。

今回の登山観察のポイントの1つです。

他方で玄武岩の溶岩は富士山の方向の北西側に流れています。

 

 

(立派な安山岩の岩体)

最終的に、10万年前に、火砕流とデイサイト質の溶岩ドーム(雲仙岳や有珠山と同じです)が作り活動を終えた(ことになっています)。

この時にできた溶岩ドームが、富士サファリパークの南東側にある、愛鷹山麓ではもっとも北の「黒岳」です。

 

 

黒岳はこの航空写真の上のほうに。

 

 

さてもう少し登山道前の板状節理を楽しんでから登山を開始しましょう。

 

板状節理は、実は柱状節理と違って、今日まで定説といえるような成因の説明がありません。

 

 

板状節理の形成メカニズム(佐藤景ほか)

によれば、板状節理は溶岩流の上端と下端で冷却面に平行に発達することが多いので、流れに平行な剪断応力(平行にすべるように作用する力)でできると考える説がまずあります。

 

 

他方、柱状節理のように、マグマや溶岩が冷えて体積が収縮することでできるという考え方もあるようですが、どちらもそれではうまく説明できない部分がある、と。

上記文献では、そこで、溶岩流が固まっていく途中で、流れていく方向に圧縮されて、ぐいっと上下方向に厚くなることで板状節理ができるのではないか、と新たな説を提示されています。

まだまだわからないことだらけのようです。

研究室の実験で板状節理を再現できればいいんですけどね。

 

 

さて、登山を開始しましょう。

愛鷹水神社の駐車場に車を停めて出発です。

 

登山前に水神社にお参りを。

 

 

この場所はこの場所で、水が生まれる場所、として伊豆半島ジオパークのジオサイトになっています。

 

 

これが先程の15万年前から13万年前に流れた安山岩の溶岩流の1つの末端でしょうか(多分そうではないかと)。

 

 

溶岩流の末端は滝になります。

 

 

参拝を終えたらいよいよ駐車場の上側にある登山道へ。

 

 

なんと、つい先日、熊の目撃情報ですと。。。

熊鈴をちゃんと携行しましょう(効果は少々疑問ですが)。

 

 

登山開始後すぐに現れる景色。

涸れ沢のために地質の観察が容易です。

 

 

侵食によりずいぶん色が白っぽくなっていますが、安山岩質の溶岩流が見事に河床を覆っています。

 

 

涸れ沢の側面には、細かな板状節理。

すべて同じ方向ですね。

 

 

 

写真左が下流側。

さきほどの水神社の滝までこの溶岩流は下っています。

 

 

登山再開です。

最初は舗装路。

 

15分ほどでこのゲートに付きます。

今回の目的地、つるべ落としの滝に向かうには、このゲートの中に入っていくことになります。

 

 

ゲートの中の砂利道をさらに進むとこの場所へ。

ここからそこそこ本格的な登山のはじまりです。

 

ルートマップでみると、ここから滝まで登り45分、下り30分とありますが、それは無理です(笑)

子どもがいたこともありますが、まあ倍はかかりました(←遅すぎる)。

途中、ルートを間違えて、まあまあ本気の遭難もして、ドキュメント遭難シリーズ(山と渓谷社)が頭の中を埋めました。

 

 

こういう場所もあれば。

 

こういう場所もあれば。

 

こういう場所もあれば。

板状節理のがれ場も多いです。

途中、危険なのでロープが設置されている場所も一部あります。

 

土の固さからして、比較的新しそうな地層。

土砂崩れの地層なのか、単なる最近の土壌なのか。

 

 

この新しめの沢の横の地層です。

 

こんな感じ。

 

 

一方こちらは相当、土が団結していますので、恐ろしく古い痕跡だと思います。

 

 

(素人ですが)火山泥流の地層にみえます。

10万年、20万年前の?

 

 

両脇に古い古い火山泥流の地層があり、その間を沢筋で侵食しているようにみえます。

*見立てが違ったらご指摘くださいm(_ _)m

 

火山泥流?

むちゃくちゃ固いです。

 

 

拡大。

 

 

 

 

 

地上に堆積した火山泥流の層(つまり岩石ではない)ですが、10万年単位でここまで団結し、侵食により砕け岩石のようになっている(ようにみえます)。

 

 

これも。

 

 

登山を進めます。

大きな安山岩の岩体が。

 

 

やはり板状節理。

 

 

節理の方向性がみえます。

また岩体の上にいくほど節理が明瞭です。

板状節理の成因自体がはっきりしないので理由はなんともいえないですね。

生じた応力の差なのか、冷却の差なのか、圧縮の差なのか。

 

 

苔がむして美しいです。

 

途中の観察ポイント、千帳岩(せんじょういわ)に到着。

奥の涸れ沢の溶岩流、これ、なんと一枚岩とのこと!

 

 

すごいですね。

 

 

先に進みましょう。

先は長いです。。。

 

 

こんどはローム層をみつけました。

(自信はあまりありませんが)、上の黒いのが、現世腐植質火山灰層(黒ボク土)で、下の褐色のほうが愛鷹ローム層のうち上部ローム層でしょうか。

あるいは、どちらも上部ローム層で、上が黒色帯、下が褐色帯でしょうか。

 

 

このあたりはいつかしっかり勉強したいです。

 

 

かなり体力の限界が感じますが、あと500m,と。

 

 

諦めかけたころに、ようやく、滝らしきものが視界に。

 

到着したようです。

 

なかなかの迫力。

いや、一見の価値あるものです、これは。

 

たしかに板状節理によって作られた滝です。

 

 

雨のあとしか流れない幻の滝。

 

 

流れたあとがわずかに感じられます。

幻の?滝壺には、流れていた際にたまった水が美しい氷に姿を変えていました。

 

こんな氷に。

 

しばらく様々な角度からお楽しみください。

途中から、気温差でレンズが曇ってしまっていますが。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

滝の下には、安山岩(あるいはデイサイト)の火山岩に混じって、気泡のあいた玄武岩質の岩石も混ざっていました。

さて、日が暮れないうちに帰りましょう。

 

 

帰りには、なんと鹿がお見送り。

いかがでしたか。

富士山の大先輩の立派な成層火山で、沼津、長泉、富士と山麓の人々の生活の基盤と恵みになっていながら、どうしても富士山や箱根の影に隠れてしまう、愛鷹山(愛鷹火山)。

40万年前から10万年前の噴火の痕跡、素晴らしい地球の景観をぜひ感じにきてください。

 

平成31年1月

弁護士 永野 海

 

 

 

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